「認知症は贈り物」は自分がなっていないから言えること

介護
雪乃
雪乃

いつもありがとうございます。Twitterで周りから「認知症は神様の贈り物」だと言われたという人の話が流れてきました。認知症に限らず、病気や障害をこのような言葉で美化する人にはとにかく違和感を感じます。これについて述べたいと思います。

認知症は贈り物なのか?

Twitterで流れてきた話です。ツイート主はある人から「認知症は、排泄を介助されてもそのことがわからない。だから認知症は神様からの贈り物だ」という話を聞かされたとのことです。

ツイート主はその言葉を聞いて「認知症が神からの贈り物だと言うのなら、こんなに残酷な贈り物があるだろうか」と評しています。

日頃から認知症の方に接している私にとっても「神様からの贈り物」などとは到底受け入れがたいものがあります。

認知症になることは不幸なことであるとは決めつけられるものではありません。どう受け止めるかは当事者やご家族次第でもあるのかもしれません。

ですが、実際に認知症になったわけでもない人が、それを美化する発言をするのは強い違和感を覚えます。

実際に認知症になった人、そのご家族は深い苦悩を抱えていたり、日夜その介護に悩んでいたりは、いくらでもあります。それを神様からの贈り物と評するのは、そういった苦悩への想像力があまりにも欠けている。

認知症は進行の段階で、様々な病状を呈します。

また一口に認知症と言っても、アルツハイマー型認知症やレビー小体型認知症、前頭側頭型認知症など、様々な種類があります。

排泄介助されてもそれがわからない人も確かにいます。しかしそこに至るまでに、尿意を催してもどうすればいいかわからず、失敗して羞恥心を感じる人もいます。

排泄介助されてもそれに気づかないなど、あまりにも認知症のごく一部の人の状態を一般化し過ぎではないでしょうか。

汚れた下着やパットなどを隠してしまい、周囲を汚染してしまう場合もあります。ご家族としても大変な状況になります。

物盗られ妄想など、被害妄想が出現する場合もあります。お金が無くなったと家族を疑ってしまう事例など、テレビでも見たことがないのでしょうか。

レビー小体型認知症だと、様々な幻視、幻覚が出現することがあります。床を虫が這っているとか知らない人が立っているとか、リアルな幻覚が本人を苦しめることもあります。本人にとってはそれが事実なので苦しいわけです。

自分が認知症になっても、自分は神様からの贈り物をもらったと言えるならその分にはいいですが、認知症介護で悩まれている方が現実にいらっしゃるのが現実で、それを無視するかのような発言は容認できません。

病気の美化をしていいのは、当事者くらいではないか

認知症に限らず、様々な病気や障害、困難な状況に対して、他者が勝手な美化をすることがあります。

しかし、その状況をどう受け止めるかは本人たちが決めることです。対して何もしない外野がポジティブな受け止め方を勝手に押し付けていいものではありません。

そのような態度は、言った本人はあくまでも良い事を言っているつもりなのでたちが悪い。他者への想像力を欠いており、苦しんでいる人がその言葉で救われることは極めて少ないのではないでしょうか。

例えば発達障害を持っている人に対して、発達障害の中にはエジソンやアインシュタインのように成功した偉人もいるからと、発達障害であることを前向きに受け入れたらいいじゃないかと言ってしまう人がいます。

しかし、エジソンやアインシュタインが発達障害であったとしても、発達障害の人がエジソンやアインシュタインなのではありません。

発達障害のことを紹介する書籍が多くなりましたが、大人になってから診断されるまで、大変な思いばかりしていた人だっています。子供のうちから診断された人だって、親が大変な悩みを抱えていることだってあります。そういう苦悩があることを無視してはいけない。

エジソンやアインシュタインの例を引き合いに出すのだって、ある種の無理解です。薬を飲んだり、ソーシャルスキルトレーニングを受けたり、就労支援を受けてなんとか生きていこうと大変な思いをしている当事者もたくさんいます。

発達障害に限らず、障害がある人に「その障害は個性だ」と言う人がいます。

ですが、それを決めるのはあなたではありません。

病気や障害を美化して、外野が勝手に美談として消費するのは、見ていてあまり気分の良いものではありません。

そのような物言いが、時として大変な状況にある人を追い詰めることになりかねないという事を、理解して欲しいものです。

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