いつもありがとうございます。日頃から多様性が大事と唱えている人が「人に迷惑をかけてはいけないという日本の価値観を変えていかないといけない」という主張をされていました。日本の価値観を変えるなど、大それたことは私はとても口にできません。また、多様というからには日本の固有の価値観も大事なのではないかと私は思います。そういう考え方もありだとは思いますが、私は私の考え方を書いてみようと思います。
日本的な価値観もある種の多様さではないのか
冒頭に述べましたが、日頃から多様な価値観がどうのとおっしゃっている方が「人に迷惑をかけてはいけないという日本の価値観を変えていかなければならない」と主張しているのを見ました。
まず、私は人に迷惑をかけてはいけないという価値観を日本人が他国に比べて強く持っているのかどうか、判断できません。もし本当に日本人にそのような価値観が強くあり、弊害ばっかりなのであれば、今後はどうあるべきなのか議論する余地があるでしょう。
しかし日本人が特有に「人に迷惑をかけてはいけない」と考え、それを変えていくべきというのは、どのような動機でそう述べているのでしょうか。
デンマークや他の欧米他国がそうだから、日本もそのようになった方がよいと言う論旨でしょうか?もしそうだとしたら、日本が他の国と同じような価値観に変わっていくということは世界的に見た多様な価値観の1つが失われてしまうということになります。
その方が日頃からおっしゃっていることと反するような気がします。
人に迷惑をかけないようにしようと思うのは美徳足り得るのではないだろうか
よく日本人は集団的だとか、欧米は個人主義的だとか言われることがあります。そのような見方自体、私は疑っているのですが。
しかし、人間は集団を作ることによって生存競争に生き残るという手段を選択した種です。ある意味、集団を維持するため、人に迷惑をかけないように心がけるということは、人間が集団を維持して生き残るための理に適った方法なのではないでしょうか。
人に迷惑をかけてはいけないという価値観を日本が共有しており、それが強すぎるのであれば生き辛いと感じる人も出てくるでしょう。集団に迷惑をかけた人が、よってたかって糾弾されるということだってあるかもしれません。ですが、他人にかける迷惑を気にかけない人が多ければ、それはそれで問題でしょう。程度問題に過ぎないのではないかと思います。
脳機能学者の中野信子によると、人間は何らかの集団や共同体に帰属すると脳からオキシトシンというホルモンが放出されるそうです。このホルモンは人を幸せな気持ちにして集団の結束を強める。
価値観が多様であっても良いですが、その中でいくつかは共通の価値観を共有していること、同じ文化や言語を共有し、地域の身近な人との関係を築いていること、それが人間が安心して生活を営むために必要なことではないかと思います。
もっとも、北欧などで人口が分散しており、人と人が接点を持つことが少ない環境で長く生活してきた人達には、また違った価値観が共有されているのかもしれませんが。
元号という固有の文化だって多様さの1つ
これは少し前の話ですが、令和の元号が発表される前「元号なんて不便だからなくすべきだ」と騒いでいる人達がいました。
確かに書類の管理や年齢の計算など、元号を使っていると手間に感じることがあるので気持ちはわからなくもない。
しかし不可解なのはこの時も「多様性が大事だ!」と普段から主張している人が、同じ口で元号をなくせと騒いでいたことです。元号をやめて主流である西暦に統一したら多様ではなくなるでしょう。
それに元号にはやはり意味があると私は思います。
人は人生の中でいくつかの区切りを持ちます。学校に通い勉強していた頃、親元から離れ一人暮らしをしていた頃、結婚して子育てしていた時期してなど、その人はその人なりの区切りで、後になってから人生を振り返ります。
この区切りは大人になってからは、人によってはなかなか生まれないこともあります。しかし、平成が終わって令和へ、などという集団で使っている元号も区切りになり得ます。
この元号はみんなで使っているものなので、多くの人と「昭和という時代はこうだった」「平成にはこんなことがあった」と振り返りを共有することができます。
これは国家という大きな単位で、認識や国民意識を共有する上でとても大きい。人間という集団は市町村など身近に住んでいる人達とは集団の意識を共有しやすいですが、国家という大きな単位ではそれが難しくなってきます。元号というもので十分ではありませんが、ひとつひとつの体験の共有を積み重ねていくことで、連帯意識が育ってきます。
もし同じ国でありながら、地域地域で全く違う価値観ばかりを有していたらどうでしょうか。例えばその状態で、北海道に巨大地震が起きて壊滅的な被害が出たらどうでしょう。
北海道民が他の地域とあまりに違う価値観をもっており、同じ国民と認識しづらい状態であったらどうでしょう。被害にあった北海道民を助けるために、国費を投入して助けようということに、同意しづらくなってくるのではないでしょうか。
違う価値観の持ち主同士では、同じ国民だから話し合って助けあっていこうという動機に乏しくなります。
EUで、ギリシャが債務危機に陥った時、ドイツなどのEUの主流国は支援を渋りました。EU内での価値観の共有が十分ではないからです。そのような集団で話し合いをまとめようとすれば、必ず利害の対立の方向に話が流れていきます。
価値観がバラバラでは、民主主義的な意思決定過程が成り立ちません。
だから日本という集団の中でも、ある種の共通の価値観を保ち続ける必要があると思います。この広い日本で、日本人が同じ日本人だと認識できる重要な要素の1つは、皇室でしょう。
その国が持っている固有な文化で、望ましくないものは変えなければいけないというのは同意できるのですが、安易に変えましょうという話に同意はできません。
これまでの歴史の中で培って来たものは、それなりの意味があるのだと、認識しているからです。
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