食事・入浴・排泄の介護は『誰にでもできる』ことなのか?

介護

みなさんこんにちは。雪乃です。

介護保険の改定で、毎日バタバタ忙しく過ごしています。通所介護や施設系サービスの事業所は信じてシステムLIFEについての情報収集や入力作業でもっと忙しくされてるかもしれませんね。

疲れてるので、本を読んだりYou Tube観て過ごす日が増えてきました。

で、You Tube観てたら、あるVtuberさんの動画が目に止まりました。かわいい女性のキャラクターとかわいい(?)声の医療系Vtuberさんのようです。

内容は「介護は誰にでもできるか」というテーマでした。Vtuber氏に言わせると「介護はある程度のところまでは誰にでもできるけど、それ以上の高度な内容になると誰にでもできることではない」とのことです。

誰にでもできるかと言うと、半分はあたりだけど半分はハズレという見解ですが、まあ、私もそのような認識ですね。

しかしVtuber氏は話の引き合いに「食事・入浴・排泄のように生きるのに最低限必要な部分の介護も介護です。それらは誰にでもできる」とし、「その人の生き方考え方を理解し、その人らしい生き方を叶えるために、旅行に付き添ったりするのも介護です。そういうのは誰にでもできることではない」と述べました。

流石にここまで来ると認識が歪んでると思います。以下、私の考えを述べましょう。

食事・入浴・排泄を介護するのは重要なことです

食事・入浴・排泄は生きるために最低限のことです。それは合っています。

しかし、それが生きていくために最低限必要な行為である→だから「その行為を介護するのは誰にでもできることだ」とするのは、発想が飛躍していて意味がわかりません。

職歴や経験の浅い介護職なら、食事1つとっても介護することは難しいでしょう。

きちんと飲み込めているか確認したり、当人の体調はどうか、どの体勢なら食べやすいか、食べる事のどの過程に支障があるか、1つ1つ考えながら介護をすることは難しい。

施設系のサービスなら、リーダーや看護師など時には専門職の意見を聞きながら、介護の方法について検討を重ねなければいけません。

また、チームである程度の人数を介護している場合、食事の介護をしつつも、周りの環境はどうか、目を配らないといけません。

やり方を考えたり、周囲の状況を察知して動くということは、誰にでもできることはありません。

食事は生きるために最低限の行為です。だから「誰にでもできること」となるのではなく、「食事の介護1つにしても、高いレベルでそれを提供するのは、誰にでもできることではない」と私は考えます。

『その人の生き方を介護する>生きるために最低限の行為を介護する』なのか?

どうもVtuber氏には、生きるために最低限の行為を介護するのは取るに足りないことで、その人の生き方を考えて、望む事を実現することこそ高度な介護である、という考え方を持っているように思いました。

しかし、食事・入浴・排泄という行為は生きるために最低限のことであるにしても、その行為さえ満足にできない人の介護をしているのが、介護現場の実情ではないでしょうか。特養などの現場ではより顕著だと思うのですが。

基本的な生活行為の介護が必要になったとしても、例えば買い物に行って好きな物を買いたいと思っている人もいるでしょう。孫に贈り物をしてあげたいと思っている人もいるでしょう。

本人の生き方を考えて、望み通りの生活を支援したいと思っている介護職もいると思います。

しかし、生きるために最低限必要な生活行為を介護することが、次元の低い行為や取るに足らないこと、とはなりません。

また、介護保険の枠組みであれば、まずは最低限の生活行為を介護して介護報酬を頂くのが優先事項のはずです。それ以上の事を介護保険にもとめても、給付をするのは微妙です。自費でもいいならやってもいいと思いますが。

何よりVtuber氏の意見は、食事・入浴・排泄の介護の重要性や、そのニーズを満たすために日夜奮闘している介護職の方に失礼な事を言っている気がして、不快でした。

以上。雪乃でした。

私もVtuberもうちょっとやってみようかな。

動画作ってみました

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