『感謝する』当たり前のことが、なぜできないのか?

介護

みなさんこんにちは。いつもありがとうございます。

車椅子の女性が、鉄道会社を利用して目的地で介助をお願いしたが断られてしまったと騒いでいました。

私も関西の某駅で、ベビーカーを押して利用しようとしたら(私の子供ではありませんが)駅にエレベーターがなく、大変苦労した覚えがあります。

その駅は大手鉄道会社が連結している結構な規模だったのですが、その有り様です。

いろんな人が使う駅は極力便利であって欲しい。バリアフリーでハンデのある人でも使いやすいものであって欲しい。そう思います。

ですが、件の車椅子で騒いでいた人は事情が違います。

ハッキリ言ってしまって申し訳ありませんが、その方の言い分はただただ不快でした。

何がどう不快だったかはこれから述べます。

『乗車拒否』されたというのは事実なのか?

件の人は「鉄道会社に車椅子での介助をお願いしたら乗車拒否された」と主張してましたが、まずそこから事実ではありませんよね。

本人のブログを拝見しましたが、目的地の駅にエレベーターがなく、職員に介助して欲しいと言ったところ「当該の駅での対応は難しい、他の駅で降りて欲しい」と言われたとのこと。

挙げ句、さらに鉄道会社に無理強いして手伝ってもらったとのことです。

結局、乗っているじゃないですか。

それを乗車拒否されたと事実を歪曲しているスタンスに疑問を感じざるを得ません。

鉄道会社は『合理的な配慮を怠った』か

件の人、及びその言い分を擁護する人は

障害者差別解消法により、障害のある人には合理的な配慮を行う義務があるのだから、鉄道会社は車椅子の人の言い分を聞き入れるべきだ!

と主張していますが、果たしてそうでしょうか?

鉄道会社は車椅子の女性に対し、乗車の介助を受け入れ、さらに降車時では駅員のいない駅での対応は難しいが、他の駅であれば対応が可能な旨、伝えています。

重量のある電動車椅子を運搬する際には、少なからず危険が伴います。

私は法律の専門家ではないので、過去の判例とかわかりませんが、これは合理的配慮を怠ったと言えるのでしょうか?

私には車椅子の人が「合理的な配慮の範疇を超えた無理強いをした」ようにしか見えませんでした。

私は度を超した無理強いをするなと思って意見をTwitterで述べていましたが、曲解して「お前は合理的な配慮をしなくていいのか」という極論を述べている人がいるようなので、それは違うよとこの場で述べておきます。

手助けに感謝をするべきなのか?

私は、今回の件で件の人が最終的に助けてもらって目的地駅に到達できた件、駅員に感謝を述べてしかるべきではないかと思います。

こういうこと言ってしまうと

じゃあ、お前は障害のある人が誰かに助けてもらった時に、感謝の言葉を言うべきだって言うのか!

と言う人がいるかもしれません。

ごめんなさい。そうだと言っています。

正確には、障害があろうがなかろうが、人に助けてもらった時は感謝の気持ちを持つべきだと思います。

少なくとも私はそうしています。体調が悪くて誰かに助けてもらったり、なんだったら買い物してレジを打ってもらった時だって感謝をしています。

障害があろうがなかろうがそれは関係のないことです。

人に無理強いをすることではありません。見返りのない人を助けることだって私は状況によりすると思います。

ただ助けてもらったら感謝をするべき、しないよりはしたほうが良いという理屈が通らない人が一定数いることは疑問に感じます。

障害のある人への配慮は必要です

あくまでも誤解のないよう述べておきますが、障害のある人でも気兼ねなく生活できるように取り組んでいく努力は必要です。

困っている人は助けるべきだと思いますし、助けを求める人が負い目を感じなくするような配慮は必要ではないかと思います。

ただ、一方的に障害のある人から「こうするべき」というご意見を目にすると嫌な気持ちになります。

私は心の狭い人間ですので。

以上。


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関係ないですが、You Tubeもやっています。

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