「介護保険は最低限の生活を支える」ものなのか?

介護

みなさんこんにちは。雪乃です。

私がケアマネになりたての頃、住宅改修についての相談に未熟さ故に上手く答えられなかった事があります。

介護度の高い利用者を介護している家族さんは、住宅改修の制度を使って、洗面所を改修できないかと相談してきました。

車椅子でも洗面台を使えるよう、洗面台の足元の部分を改修して、車椅子で鏡や流し台の近くに行けるようにしたいとのことでした。

私はそれで保険請求が通るとも思えず「住宅改修は生活していく上でどうしても必須な、転倒を防ぐための廊下や浴室などの手すり設置、和式便器の洋式への改修など、そういう部分しか保険請求しか認められないと思います」とお答えしました。

家族は「洗面台なども日常的に使う部分なのに、どうして認められないのか」と納得いかなかったようですが、実際に市に問い合わせても給付はできないとのことだったので、渋々ながら諦めてもらった事があります。

今の私ならこうした説明を付け足すでしょう。

「介護保険の住宅改修は、皆様の介護保険料などを使って給付をするものです。ですが、賃貸住宅に住んでいる人などはその制度を利用できない人もいる。持ち家で住宅改修する際に、洗面台の改修などまで認めてしまうと、制度を利用できない人との差が大きくなってしまい、公平性がさらに失われてしまいます。また、便利な洗面台を設置するという事は、公的な支出で個人の資産形成をしているという風にもなり、望ましくない。住宅改修の上限20万円までという額も、そうした事情を踏まえ、設定されているのです」

長ったらしい説明ですが、こうした考えのもと介護保険は運用されています。みんなのお金を使うものだからこその制約もあります。

さて、介護保険とはある意味融通の効かなさもあるのですが、介護保険の事業主から「介護保険の枠から抜け出したい」「介護保険はあくまで最低限の生活を支えるものだ」と言う声が聞こえてきました。

それはそれで、違うだろうという個人の感想をここで述べておきます。

確かに住宅改修に関して上述したように、介護保険にはいろいろと縛りがあります。訪問介護だって大掃除はできないし、デイサービスだって送迎を使って好きな場所に送るという事はできません。

しかしそれでも、理念としては介護保険は、例え加齢や病気などで日常生活に困難が生じても、その人が望む生活を送る事ができるようにサービスを受けることができる制度です。

第一章 総則
(目的)
第一条 この法律は、加齢に伴って生ずる心身の変化に起因する疾病等により要介護状態となり、入浴、排せつ、食事等の介護、機能訓練並びに看護及び療養上の管理その他の医療を要する者等について、これらの者が尊厳を保持し、その有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう、必要な保健医療サービス及び福祉サービスに係る給付を行うため、国民の共同連帯の理念に基づき介護保険制度を設け、その行う保険給付等に関して必要な事項を定め、もって国民の保健医療の向上及び福祉の増進を図ることを目的とする。

介護保険法第一章 第一条より抜粋

確かに、食事や排泄、入浴など、日常生活上不可欠な部分を担うのが介護保険の役割であると解釈する事もできます。

ですが、赤字で強調した部分にもあるように、本人の能力を活かして自立した生活を送れるように支援するという文言もあります。

入浴の支援に的を絞った訪問入浴だって、可能であればその人の希望を聞き、入浴の機会を利用して衣服を替えたり、ベッドシーツを交換してその人が気持ちよく生活できるよう、配慮をしています。

デイサービスだって、入浴、食事、排泄を介助して終わりではありません。

利用者が人と話せる機会を作ったり、その人が今までやっていた編み物などができるようにレクリエーションを提供したり、その人の生き方をサポートするために、サービスの内容を試行錯誤しています。訪問介護も、身体介護でオムツ交換を行ったとしても、それが利用者の生活の質の向上につながるよう、ケアプランに記載する上での配慮を行っています。

利用者の状態から、最低限度部分の支援だけとなっていることもあるかもしれません。ですが、介護保険の理念を踏まえ、単なる最低限の生活の介助だけではなく、その人の生活の質の観点から事業所はサービスの提供をしてくださっているとケアマネの立場からは思います。

むしろ、「介護保険は最低限の生活の部分だけ」と公言してしまう事業主こそ、介護に対する意気込みが足りないのではないかな?と思ってしまいます。介護保険の内容も満足にやっていないで「介護保険の枠組みを超えたい」だなんて、烏滸がましいことだと思いませんか?

以上、雪乃でした。


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