みなさんこんにちは、雪乃です。
昨日、スペースで「常識とは」というタイトルのお部屋に入って、いろいろな話を聞きました。先日の摘便は性的なサービスという話につながってくることなので、せっかくなので続きとして書いていきます。
あまり上品な話ではないので、食事前には読まない方がいいと思います。ご注意ください。
まず、スペースのホストは「性的な嗜癖として、お尻を刺激されて快感を感じる方、スカトロが趣味の人がいる。既存の価値観ではタブー視され、そういうニーズには応じないのが常識だ。だがいろんな嗜癖を持つ人がいるのだから、既存の価値観に捕らわれず、施設のサービスで嗜癖を満たすのもありじゃないか」的な話をされました。話がまとまっていなかったので、私の勝手な解釈です。
これに対してある方から疑問が投げかけられました。
「実際にそれをするとなったら、施設職員が性的な刺激を与えるのですか?それに抵抗のない職員もいるかもしれないけど、抵抗のある職員もいるでしょう?その点はちゃんと考えられましたか?」
という意見でした。
ホストは「そういう点で意見が割れ、実際は入居者に性的なサービスをするとはならなかった」としましたが
「でも、例えば認知症で便を口にしてしまう利用者への対応を考えるにしても、そういう行為に対処しようという以前にスカトロが趣味の人だっているじゃないですか。弄便に対応する際には、そういう人もいると多様性に目を向けなければいけないのではないか」
的な話を続けました。話が飛躍していて、私の頭ではついていけませんでした。
もっとも、ホストの方の中では筋が通ったことなのでしょう。スカトロのような趣味の人もいるから、そういうごく一部の性癖を持つ方の対応をするために、摘便と性的サービスをくっつけたり、常識にとらわれない対応が必要ではないか、ということでしょう。
こじつけのような理屈に聞こえますが、常識や固定概念にとらわれない考え方の方が、あらゆるニーズに対応でき、利用者も満足できるという理屈に持っていきたいようです。
ですが、敢えて私は、常識は必要であるという立場から、意見を述べていきたいと思います。
『常識』は必要である
スカトロはいったん置いておきましょう。
確かに、お尻を刺激されて喜ぶ人がいるかもしれません。
ですが、だからといって摘便は医療行為として行うのが常識です。介護や医療現場の際に、性的なサービスをくっつけないのが常識です。介護施設では、性的なサービスを売りものにしないのが常識です。
そういう常識があるから、性的なサービスを要望する人が満足できないという弊害があるのだという主張は、間違いではないかもしれません。
ですが、そういう常識のおかげで、介護施設で働くスタッフは性的なサービスをしなくてもいいという安心感が持てます。
常識が壊されたら、「介護の仕事を選んだら、利用者に性的なサービスまでしなければならないのか…」「うちの子供が介護の仕事を選んだら、性的なサービスまでしなければならなくなるのではないか」という不安感が生まれるかもしれません。
常識という枠で守られているものだってあります。
いろんな人がいるからと、常識を壊そうとする軽率さ
常識が社会で共有されているからこそ、みんなが安心して、介護サービスを利用すれば、おかしなことにはならないだろうという期待を持つことができます。
いろんな価値観も大事ですが、常識からかけ離れた価値観もなんでもありにしてしまうと、選んだ介護事業所がとても受け入れられない価値観で運営している施設だったということもあるかもしれません。
常識を壊すメリットもあるのでしょうが、壊すデメリットもあります。
既存の常識に疑問を持つことも結構。ですが、壊したら新しい常識が形成されます。常識を壊したら幅が拡がるという安直な発想で、常識の破壊を肯定する態度には違和感を覚えました。
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