【介護】資本主義なのに、なぜ自由に事業ができないのか?というご意見について

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いろいろな方とSNSで話し合い、改めて思ったことがあります。

介護保険事業など、社会保障の分野に携わっている人達であっても「資本主義の世の中なのだから、事業は私たちが思ったように展開出来なければおかしい」というご意見をお持ちの方が存外に多い。

資本主義とは、資本を持つものが自由に思うように事業をして、国がとやかく口を出すのはおかしいのだ、という認識があるのではないか。だが、その認識は資本主義の中でも極端な発想でしかない。新自由主義や無政府主義とでも言うべきものである。

確かに、事業主が資本を動かし、自由に事業を展開し、消費者が気に入ったモノやサービスを購入すれば、競争もあり、消費者の選択肢も増えるという理屈はわかる。現に世の中はそうした資本主義の価値観で動いている。

だが、それをあらゆる業種に適用し社会を運営するのは、明らかに無理があるだろう。

介護に限らず、医療や障害福祉などは、最低ラインの供給が確保されなければ、人権上、倫理上の問題が発生する。

人がなんらかの疾病により寝たきりになったとして、その人が金銭的に余裕がないから介護サービスを受けられないということは、望ましくない。だからこそ一定以上の年齢になると介護保険に強制加入となり、保険適用によるサービスの現物給付を受けることができる。

その際は、事業所が算定する加算の有無や地域等級による差異もあるが、基本的に介護報酬として設定された報酬しか事業所は受け取れない。

自由な介護事業を求める者はそこに不満を持ち、「なぜ自由に価格設定ができないのか」「なぜ思うように自費サービスを上乗せできないのか」などと思うように口にする。「資本主義なのだから」というのが彼らの主張の拠り所だ。

だが、こうは考えられないのか。

「自由な価格設定にすれば、過度な値下げ競争が発生し介護業界そのものが疲弊する可能性がある」

「自費サービスを事業所の売上の柱にすると、自費サービス費用を負担できない利用者へのサービス供給が後回しにされるおそれがある」

事業者の自由を優先するあまり、肝心のサービス供給が不安定化すれば、本末転倒だろう。介護サービスは国民生活上欠かせないものであるからこそ、国が絡んで安定供給に責任を持つのである。安定供給を維持するために、事業者に制限を課すのは、反対側にいるサービス受給者を保護するためである。

制限を課されるのが嫌なのであれば、介護保険に関わらないで、完全に自費でサービスを供給する高齢者向けの商売をやっていればいいだろう。介護保険という社会保障制度に乗っかりつつ商売の自由を主張するからおかしなことになるのだ。

資本主義国家は世界に数多あれど、どの業種でもなんでも事業者の好きにさせる国などない。日本の自由化前の電力会社にしても、国営ではないが、各地の電力会社に地域独占を認め、電気料金は国の許可の上での価格設定としていた。電力という国民生活に不可欠なライフラインを安定的に供給するためだ。

自由化などを安易に認めたがため、各電力会社はシェア獲得のために発電余力の確保を疎かにし、ライフラインの維持が今まさに危ぶまれている。

資本主義を採用するにしても国民生活に不可欠な分野は公的部門が適宜介入し、安定供給に責任を持つものだ。

資本主義は資本家の自由が認められるが、資本家が各々の利潤を求めて活動することは、国家単位での安定に結びつくとは限らない。大きな視点でのバランスを取るのが国家の役割である。

単純な資本家の自由か、完全な国家管理かどちらかでしか考えられないのは、政治に興味を持ち始めた中学生レベルの議論でしかない。公的な制度としての介護保険事業に関わるのなら、せめて社会保障の役割くらいは認識するべきだろう。


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