感動エビデンスなる謎の概念について

感動エビデンス主義はさすがにアウトでしょう

SDGsマンさんの陰山英男氏に対する批評の動画です。

陰山氏の発達障害については以前の記事で取り上げています。

発達障害が食事で改善することはありません。過去記事: https://yashirok.xsrv.jp/archives/405

食事で云々は陰山氏以外にもデマを流してますし、陰山氏の発達障害に関する意見は他の医学博士とかの意見を引っ張ってきただけなのでここではこれ以上述べません。

問題は「発達障害は食事で治る」と主張する陰山氏に対しての批判への陰山氏の反応です。

「あなたの言っていることは根拠(エビデンス)がない」という至極まっとうな指摘に対して陰山氏は「確かに今のところ確かな根拠はないのかもしれない。だがこのやり方に対する感動の声が見つかる」

「この多くの改善の感動はまさしくエビデンスそのもの。そうだこれを感動エビデンス主義そのもの」

などと発言しました。

以前の記事に続いて改めて言います。

エビデンスとは客観的に証明できるものでなければなりません。観察者の評価バイアスなど主観的な要素を取り除いて評価したエビデンスこそが強いエビデンスになります。

主観的な要素が入れば入るほど、エビデンスとしての力は弱くなります。

感動という極めて主観的な言葉を冠したエビデンスなど、それはもはやエビデンスとは言えない代物なんですよ。

感動したかどうかは、陰山氏やそのやり方を試した人が主観的に感じるものでしょう。

動画でも触れられていましたが、えてして疑似科学にはまっている人は自分の間違いを認められないものです。

「自分はこれにこれだけの労力をつぎ込んでいるのだから、それが間違いだなんて、そんなはずはない」という思い込みが働きます。人間は損失が確定するのをできるだけ先延ばしする思考の癖がありますし、ここで間違いを認めたら今までやっていたことの全てが無駄だったということになるという不合理な思考で物事を決定してしまうものなのです。典型的なサンクコストバイアスです。

というか、間違いを指摘しても「自分はこれに感動したから」と言ってしまったらそこで話は終わりです。ただの一般人ならそれでもかまわないですが、仮にも陰山氏は教育界に大きな影響力を持つ人ですよね。

それだけの人が感動バイアスとかいう無茶な理屈を振りかざすのはさすがにダメなんじゃないですか?

一般の医療従事者でもエビデンスに基づいた医療を行うことが求められます。エビデンス・ベイスド・メディスンというやつです。まして医療に対する研究を行う人であればあるほどエビデンスを重視する必要があります。陰山氏は教育を研究して教育に対する提言を行うべき立場にいる人ではないんですか?

教育の最前線にいる教師であっても、なるべくエビデンスに基づいた教育をする姿勢が必要ではないでしょうか?教育に関しては実験を行うことも難しいですし、教育的にこれが正解!とはなかなか言えないものなので、エビデンスが絶対であるとまでは言えるものではありません。何事もエビデンス的な正しさから外れてくるケースが存在するわけですし。

しかし「感動をエビデンスにしよう!」とまで言い出したらさすがに無理があり過ぎでなんでも都合がいいように正当化できてしまいます。例えていうなら

「俺がルールブックだ!」

と同じくらい無敵な発言とでも言えば伝わるでしょうか。

SDGsマンさんは動画の中で「感動をエビデンスにするやんなんて、学校教育の負の側面そのもの」的な言及をされています。SDGsマンさんは昔教育現場におられた方です。

発達障害についても食事や生活習慣や親の接し方で改善するという教師も実際におられるそうです。

教師全体を否定したいわけではないと思います。

かつて某メンタリスト氏が論文を誤訳(というか読んでいない可能性大)して「宿題には意味がない!教育はもっとエビデンスに基づいて行うべきじゃないんですか?」と言っていた時、

「何を言っているんですか?宿題に関する研究なんて社会的に興味のあるテーマですし、研究なんてとっくにやっていますよ。学校教育だってエビデンスに基づいてやっていますし、これまでに蓄積したエビデンスを活用できるように形にしたものが学習指導要領です。学校教育にエビデンスが活用されていないなんて事実誤認。まあ教育的にこれが正解なんて簡単に言えないのが教育の難しさですが」(私のざっくりとした要約です)

と述べて反論されていたのがSDGsマンさんです。
参考動画:【悲報】メンタリストDaiGoは科学的に正しくない。まぁ、宿題は悪くないっすね〜 なんでかって言うと〜
https://www.youtube.com/watch?v=dIF08GlAhmw

学校教育にエビデンスなんて必要ないのに、ギャアギャア言うてくる人がいるからエビデンスなんかを集めないといけなくって・・という部分もありますね。

確かにエビデンスに拘泥するべきでない部分も多々あると思います。エビデンスから外れる例外もあるのですから。マニュアルは大事だけどなんでもマニュアルで対応できるわけではない、と言えば伝わりますかね?

それでもエビデンスを積み重ねるべく奮闘する方がおられます。

ここでいう教育実験校とは国立の教育大学の付属学校などのことです。

子供を使って実験するわけにはいきませんが、教育に関する取り組みの試行錯誤はここで行われています。教育機関であるとともに研究機関でもあるわけですね。

エビデンスは絶対ではないと私は言いましたが、エビデンスを集めようとする姿勢は重要だと思いますし、責任感の現れだと思います。

教育について何も根拠を求めないのはよくありません。

感動をエビデンスにしよう、とまで露骨に言わないまでも教育者が賛同するかどうかや教育者が自己満足を得るために行われているような学校の習慣や行事があると思うからです。

その弊害を指摘する声ですが、以下のようなものがあります。

組体操、一時問題になりましたよね。事故の大きさが原因です。2m以上の高さは高度です。その高さからの転落で死亡することはありえますし、転落による死亡事故の多くはこの高さから起きています。

また2分の1成人式は読者の皆さんご存じでしょうか?

20歳になったら成人式がありますよね。10歳になった時に2分の1の成人になったとしてお祝いをしようと一部の小学校で始まったのが2分の1成人式です。

10歳になるまで自分がどんな風に育てられたかを振り返り、親に自分が産まれた時の話を聞いたり成長のエピソードを聞いたりして児童がまとめを作り、保護者が出席する式でそれを発表するというものです。端で聞いていたらそれはいいことばっかりに聞こえるかもしれません。

しかし、現代社会では複雑な家庭事情を抱える子供だってザラにいます。家庭の事情に直面するのが心理的に負担な児童だっているんじゃないか?という批判も寄せられています。

もちろん複雑な家庭事情でも大切に育てられている子供だっているでしょう。しかし、いたずらに家庭を美化して皆の成長環境についてわざわざ発表させる意味があるのか?ということはきちんと考えなければいけないはずです。

よく考えた上で対応する必要があるのに、教育者が満足感を得たいからと言う卑小な理由で安直にこれが行われているとしたら?感動をエビデンスにしたらこれも無批判に正当化されてしまいますね。

感動は大事でしょうし、気持ちは無視できない。ただ、感情だけで突っ走るのは違和感を感じますね。

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