福祉・介護ランキング
最近、現役保育士とか介護士を自称するアカウントが多いですね。
Twitterのプロフィールなんて嘘書き放題ですし、ブログだっていくらでもそうです。
そういう人が発信してる内容を見ると「これ本当に福祉職なの?」という発言が多いです。
もちろん、本物の福祉職で仕事の情報交換とか意見交換とか福祉についての考察とかを真面目にされてる方が圧倒的に多いですよ。詐称しているのはごく一部。
そんななかの冒頭のツイート。自称保育士ですが
「福祉は相手を可哀想だと思うから何かしてあげたくなる」
「 かわいそうだと思わなかったら、いろいろ手伝ってあげようと思わないですよね、やってあげたとしても義務的になりますよね。 」
と発言してますね。
これ、福祉職の発言としては完全にアウトだと思います。
可哀想だからやってあげる、のはなぜダメなのか?
Twitterでもコメントいただきましたが、可哀想な人だから介護をしてあげるというのは身内への介護やボランティアだったら特に問題ありません。
ですが、福祉職がこの発言を口にするのはアウト。
なぜなら、福祉を提供する側の可哀想、可哀想じゃないの基準で態度やサービスの質を変えていたら、それはもう福祉ではないからです。
福祉は必要とする人に提供するために制度設計されています。要件を満たした人が誰しもサービスを受けられるのでなければ福祉の意味がありません。
可哀想と思うかどうかは提供者側の主観です。
提供者による主観という曖昧な尺度でサービスの質を落としたらそれは権利侵害問題です。
もちろん、福祉職も人間ですから、無茶な要求をしてくる方や常に不機嫌でムスッとしている方が相手だと疲れてしまったり気持ちよくケアを提供できないことは、よくないことですがあり得ます。
ですが極力そういった私情でサービスに差がつかないように努めるのが福祉職のプロの在り方ですし、報酬はだたい公金ですのでなおさらその意識を強く持たなければいけないでしょう。
かわいそう、という発想がすでに相手をみくだしている。
特に何らかの障害を持っていなかったり、若い方だったら障害者や高齢者を可哀想と思ってしまうこともあるのでしょう。
実際に障害を持っていて大変な思いをしている方だって少なくないと思います。
でもだからといってそんな方を「かわいそう」と表現することは「上から目線」だと思います。
サービスを受ける相手を可哀想な人だとみなして接する福祉職はそれだけで人に不快感を与える可能性があります。
私の知人は発達障害の診断を受けていました。
ある人と結婚するのですが、結婚してしばらくして奥さんの態度が冷たくなったと言っていました。知人はアスペルガー症候群の診断をされていましたが、軽度です。
会社の中で少し浮いてしまうこともありましたが、職場のルールや人間関係のマナーを時間をかけることで学習し、クローズで就労できるくらいにはなっていました。普通に話す分には他の誰からもわからないくらいです。周りから見て感じることと言えば感情の起伏が少しわかりにくいくらいでしょうか?
そんな彼に対して、奥さんは「この人は一緒にいても大笑いすることはないな。
大笑いできるように私が障害を克服させてあげよう」
などという考えを持っていたと知人は後になって聞きました。
この奥さんは訪問介護の仕事をしていたようです。ですがはっきり言って
こんな傲慢な考えはあり得ない
と思いました。
大笑いするかしないかなんて、本人が気にしてなければ別に変える必要ないんじゃないですか?
克服させてあげよう、という発想が上から目線。知人も大笑いできるようになりたいだなんて別に望んでいませんでした。
奥さんは知人が何をやっても大笑いしないからとイライラを募らせ、知人にきつくあたったり冷たく接するようになったのでした。
単にこの奥さんは自分が大笑いできる人と一緒にいただけなのでしょう。奥さんの母親は母親で「あの子はあなたに大笑いして障害を克服させてあげようと思っていたのよ」などと発言します。この母親も訪問介護で働く福祉職です。
発想が傲慢すぎる。
自分が思う在り方を人に押し付けてしまう時点で、発達障害の知人より、この親子の問題点の方が大きいと思います。
障害を克服させてあげよう、とか障害を持っているからかわいそう、という考えを持つ時点で問題があります。
またこの考えの根底に障害を持つ人への見下しのニュアンスがあることに気づかず、公言してしまう時点で、福祉職で働くにはあまりにも無理があると言えるでしょう。
相手のことをかわいそうだなんだと簡単に言うのは、時として失礼な印象を相手に与えるものだと肝に銘じた方がいいです。
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