「私、発達障害みたいなところあるから」と言い訳する人について

発達障害
雪乃
雪乃

ブログ、SNS等で影響力を発揮する介護系インフルエンサー。今回はその人の言動について疑問な点があったのでそこから発達障害について考えます。

自分には発達障害「みたいな」ところがあるから、実務者研修が受けられないと発言するインフルエンサー

Twitterの介護クラスタで有名な人がいます。

介護職員として働いていて、介護職の給料の低さに疑問を持って副業を始めたのだそうです。

ブログの独自ドメインを取得し、レンタルサーバーを資料して転職・派遣に誘導するアフィリエイトを開始。順調で、月収は本人申告で100万円を越える月もあったのだとか。

うらやましい限りです。確定申告が大変そうですね。

私はアフィリエイトも副業も否定はしませんし、お金を稼ぐことも否定しません。ただ、それをやっている人たちの言動に疑問を感じることがあれば、それを述べるまでのことです。

今回取り上げるアフィリエイター氏の発言で気になったのは、Twitterでの彼に関する話題で

あれだけブログで介護の話題を取り上げながら、本人がまだ介護福祉士の資格も取っていないのはどうしたわけだろう。それどころか実務者研修もまだ受けていないようだ。資格を取る人を見下すような発言もしているが、さっさと取ればよいのに。

その通りです。取れるものはさっさと取ればいいのに。いくらアフィリエイトで多額の収入があると言っても、取って損はありません。

資格試験や研修の費用も、アフィリエイトで稼いでいるのならいくらでも捻出できるでしょう。介護福祉士は試験を受けなければ取得できないですが、正直さほど難しい試験ではありません。

それでも、試験対策する過程でいろいろな知識が身に付きます。研修だって、学ぶ気持ちさえあれば決して無駄にはなりません。テキストに収載されている知識だって、自分のものにして現場にいかせれば武器になります。

過去のツイートを見ていると彼は「時間の無駄」「黙って座っていることが自分には耐えられない」等々と言い切ってしまっていました。そんなちょっとの時間を座っていられないって、さすがに無理がありませんか?

確かに研修でただ座っているだけなんて楽しい時間ではないでしょう。ただ、それが苦痛に感じるだけならまだしも「ただ座っていることができない」と公言するのはどうなんでしょう?

皆忙しい中時間を割いて研修に参加しているにも関わらず、堂々とそんなこと良く言えるなとしか思わないですが・・

同時に直接この話題と紐づけしてはいないですが、彼は自分が「発達障害『みたいな』ところがある」と何回か公言しているようです。だから私は協調性に乏しく、じっとしていることができないのだ、と主張している模様です。

ひょっとして自分が実務研修を受けられないのも発達障害のせいにしてる?

だとしたら、それはちょっと・・・

発達障害だから人より困難が多いことはある、でもそれは免罪符には使えない

私は発達障害であることを検査で診断してもらいました。

でもそれは一部の人には言いましたが、職場で公言することはありません。甘えたくないとかそういうのではなく、単純に理解を得られないだろうから言わないのです。いわゆるクローズ就労です。

私はADHDという発達障害で、何も意識しないでいると書類を無くす、約束の時間を守れない等の不具合が仕事で予想されますが、ADHDでもなんでも今の仕事を選ぶ以上、そういうミスは許されない。

「私はADHDなので・・」と申告したら「じゃあなんでこの仕事を選んだの?」と返されるのがオチでしょう。幸い、私は治療薬がよく効いていることと、能力のばらつきは大きいものの不注意傾向がそれほど強くないことから、なんとか仕事をこなせています。

もちろん、人並みにミスをします。ミスした時は「申し訳ありませんでした」と頭を下げるだけ。発達障害であることをミスの理由に挙げることは、私のキャリアに致命的な影響を与えるだろうと思います。

もちろんこれは私の場合で、他により強い障害特性や他の悪影響が生じている場合は、何らかの方法を模索しなければいけないでしょうが・・

私は発達障害の人の意見を十分代弁できる立場にはありませんが、そんな私でも「自分は発達障害『みたいな』ところがあるから、不注意で、協調性がなく、こらえ性がないのだ」と公言する人間には強い違和感を感じます。

発達障害『みたいな』ってなんでしょうか?発達障害は、付けたり外したりして何かの免罪符に使えるような、都合のいいアクセサリーではない。『みたいな』という曖昧さで、自分のだらしなさを正当化するように見える行為は、違うでしょう。

何かの免罪符や正当化に使うのであれば、診断を受けて曖昧さを無くすべきです。もっとも、診断を受けるのに至らなくて、でも現実問題に困りごとを抱える当事者もいますから、話は少し複雑ですが。

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発達障害が確定するのは嫌、でも発達障害かもしれないを言い訳に使いたいといういいとこどり

現実に、発達障害かどうか診断も受けてないのに「発達障害みたい」で都合の悪いことから逃げている人がいます。そんな人は仮に障害の診断を受けていないだけで、本当に日常生活に支障が生じる何かがあるのかもしれない。

でも仮に本当に発達障害だからと言っても、それを言い訳に使えないケースだっていくらでもあるわけですよ。

本当に発達障害で困りごとに直面してる人がいる中、なんちゃってで発達障害を都合よく使う方は発達障害かどうかに関係なく真摯に現実と向き合っている方に対して、失礼な態度を取っているのではないでしょうか。

もちろん自分の発達障害と向き合って、自分にできないこと、難しいことを踏まえた上で現実と向き合っている方もおられます。当記事はそのような方を否定する意味合いで書いてはいません。

発達障害との向き合い方も人それぞれですから。発達障害でなくてもハンデや不利な環境と向き合って生きざるを得ない方もいます。そのような人がどのように生きるか、問題とどう向き合うか、強く口を出せるほど、私は偉くありません。

冒頭に挙げた某アフィリエイター氏は「自分には発達障害みたいなところがあり、集中力がなく、協調性がなく、じっとしているのが苦手で」と言いつつ「別にそれで困ってはいない」などとも言っています。

「じゃあ最初から何も言うなよ」って思うのは私だけでしょうか。

都合よく発達障害を使って生きるのは、不誠実だと思います。今回取り上げたアフィリエイター氏が実際に困っているかどうかは不明なのですが、安易に発達障害「みたいな」という曖昧な表現を用いるのは、不適切との誹りを免れないのではないか、と老婆心ながら申し上げておきます。

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