「来月の予定表です。利用票も保管しておいてください」
水貴は鞄から書類を取り出し、番場に手渡した。ケアマネが作成する利用票という書類は利用者に確認してもらい、交付する決まりだ。
「はいどうも。いつもありがとう」
書類を受け取った番場は、すぐに内容を確認する。
水貴がいつ番場のもとを訪れても、その白髪は短く整っている。だいぶ目が悪くなってしまったとよく口にするのだが、スーパーの特売のチラシにはしっかり目を通しているし、予定はいつもカレンダーに書き込んである。眼鏡をかけて書類に目を通すその姿は90歳という年齢をいつも感じさせない。
「最近どうですか?デイサービスでは変わりないですか?」
「私は楽しく行ってるけど」
少し言葉を濁した様子が水貴には気になった。なかなか人と話す機会がないからデイは楽しみだ、といつも楽しそうに様子を話すことが多いのに。
「気になることでもありましたか」
「職員さんはいつも明るいよ。でも、ね」
サービスに不満があるというわけではないらしい。しかし番場がしんみりと話すのは珍しいなと水貴は思った。
「よく隣に座ってた人がいたんだけどね。私と来る曜日が同じだったの」
過去形だ。水貴は話の展開が何となくわかった。
「お友達だったのですね」
水貴も過去形で応じる。
「そう。最近ずっと休んでたの。1ヶ月も見ないから『最近、あの人見ないわね』なんて職員さんにそれとなく聞いてみた。そしたらね…」
水貴は黙って聞いていた。神妙な表情を作って話の続きを待った。
「『どうしたんでしょうね、しばらくお休みされるみたいです』ってはぐらかされた。でもなんとなく雰囲気でわかっちゃってね」
デイサービスのその対応は正解だ。いくら仲良くしているからといっても、答えるのは個人情報の漏洩になる。番場が察したということはおそらく入院して家に戻れなくなったか、あるいは亡くなっていると考えられる。
「そうでしたか…」
水貴は多くを答えなかった。
こういう時に励まそうと明るい言葉をかける人が多い。きっとすぐ戻ってこられますよ、クヨクヨしないで、元気を出して、と。
だが、相手が求めているのは励ましや慰めではないのだ。落ち込んでいる時に、元気を出してくださいと言われて元気になれるほど人間は単純にはできていない。きっとすぐに戻ってくるなど、根拠なく言ったとて相手には響かない。少なくとも水貴はそう考えている。
「その方とは長い付き合いでしたか」
「半年くらい、かな。」
番場の年齢だと、今まで築いてきた人間関係は水貴の比ではない。別れも沢山と経験してきただろう。
「松原さんにも長いことお世話になってる」
番場は口元を僅かに緩ませた。
「番場さんはいつもいろいろお話してくださいますね」
水貴も笑顔で応じる。
息子が定期的に訪問しているとはいっても、寂しさを埋めるというのは簡単なことではないのだろうなと改めて水貴は思った。
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番場宅の応接間に通された水貴の頭に、その時の様子が、番場の表情が思い出された。
これからいろいろなことを決めなければ、と思いつつ、何度も頭の中に映像が流れる。集中しなければ、と水貴は呼吸を整えた。
「土日をどうするか、ですね。まず」
栗原が口を開く。長男の番場悟と、他の家族も栗原に目をやる。難しい表情をしているが、不安と悩みが入り交じっているのか。
「本人は最期まで家にいたいと」
と悟が口を開く。
「家族としてもそれで良いということでしょうか」
率直に水貴も尋ねた。
「はい」
短く、静かに悟も応じた。
「今日は私たちが対応します。オムツがないと難しいですね。今日はステーションから持ってきたオムツを使いますが」
「この話し合いが終わったらすぐに買いに行きます」
「では明日も看護師が訪問しますので。オムツ交換はこちらで対応します」
「食事はどうすれば?」
「家にあるもので対応しますが、茶碗蒸しなどがお好きでしたし、見たところそういったものは食べられそうですね。アイスなんかもありますか?」
「母はスーパーに売っている茶碗蒸しを冷蔵庫に入れていたので、今もあると思います。ちょっと見てきて」
次男が促されて冷蔵庫を確認に行く。
「本人が食べたいと思ったものを食べてもらうのが良いです」
栗原の話の進め方には迷いがない。淡々と物事が決まるうちに、家族に浮かんでいた不安の表情も薄れていく。
「では、こちらでは床ずれ予防のマットの導入と、訪問入浴の調整をしましょうか」
急ぐようだが、水貴としては今日の時点でできる限りの調整をしておきたい。
「今ここで電話をして、マットを持って来てくれるよう頼んだ方がいいと思いますが構いませんか?」
どうぞと促されて、席を立ち水貴はスマホから架電する。すぐに福祉用具の担当者が出た。
その間にも栗原は緊急時の対応を家族に説明する。
家族にとって初めての経験であっても、栗原というベテランがいるだけで物事は流れるように進んでいく。水貴にも安心感が湧き、福祉用具への連絡に集中することができていた。
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