『涙』④

介護

−ユニバーサルベッドの東田です

「松原です。番場様の件で相談なんですが、お時間大丈夫ですか?」

−大丈夫です。入院されたと聞いてましたが退院ですか?

「今、ご自宅に帰られてます。急なことですが退院なんです。退院なんですが…」

−ですが?

言い淀んだ水貴の様子を訝ってか、東田の声もトーンが落ちた。

「ガンの転移が見つかったそうです。今、訪問看護と一緒に家族様とお話しています。おそらく、予後は長くない」

−ただの肺炎じゃなかったんですね…。それで自宅という事は、もう…

水貴の説明でおおよその状況を察してくれたらしい。ユニバーサルベッドの福祉用具専門相談員である東田はまだ25歳と聞いていた。ターミナルの事例の経験も多くはないだろうが、この男は現場で水貴の意図を察して的確な提案をしてくれる。水貴は東田のそういう所を高くかっていた。

−今のご様子どうなんでしょうか。

「酸素を吸入してベッドで休んで少し落ち着かれたようです。でも、これではポータブルを置いても移乗は難しいでしょう」

今の時点では体を起こすのがやっとというところだろう。しかし食事らしい食事が摂取できる状況にない。今できている事が、明日明後日には出来なくなっていたって何もおかしくない。

−マットは大丈夫ですか?

「それをお願いしたいです。エアマットで褥瘡予防効果の高いものを急ぎで手配出来ますか?細かい機種選定は、東田さんにおまかせします」

−松原さんはまだ現場に?実は今車の中なんですが、エアマットを積んでいます。30分くらいで着きます

「本当に?出来るだけ早く頼みたいので持ってきてくれますか?サイドテーブルもあると助かります」

−サイドテーブルは後日なら。それでも明日には納品できますよ。

「わかりました。ではエアマットを現場にお願いします。30分後ならまだ残っていると思います」

通話を切って水貴は安堵した。急激に番場の体力が落ちていて褥瘡ができるまでに時間はかかるまい。体を動かして体勢を変える力はすぐに失われてしまう。すぐに福祉用具を納品してもらえるとは、願ってもないことだ。

「急に無理を言ってすみません」

水貴は電話を切った。

部屋では、栗原と家族の話が続いている。緊急時の連絡の説明は家族も理解できたとのことだった。

「今日、ご本人の様子を見て感じたことなのですが」

一同を見回してから、栗原は切り出した。何となく気配を感じて、空気が張り詰める。

「私の経験上では、1週間程で亡くなっても不思議ではないです」

そうだろうな、と水貴は思った。水貴も同じような印象を抱いていたが、看護師としてベテランの栗原が言葉にすることで、より胸が締めつけられるようだった。

栗原は敢えて、最も重い事実を先に言葉にしたのだろう。水貴以上に、家族にとって受け入れ難い事実。それを認識しなければ、まとまるものもまとまらない。

「明日の朝一番で私が訪問します。夕方にも訪問しますので、時間を調整します」

「私はどうすれば?まとまった休みも取れますが」

「ご家族で協力して、交代しながら来て頂いた方がいいでしょうね。看護師がフォローしますので、家族で全部を対応しようと気負わないでください」

栗原の説明には迷いがない。これだけで決めなければいけない事が次々に決まっていく。

「明後日も同じように看護師が訪問します。看護師から見て医師に確認する必要がある点は、こちらから主治医に連絡を入れます。月曜日には医師も往診に来て頂くよう伝えておきましょうか?」

「そうして頂ければ助かります」

痛みや苦しみはあるだろうが、往診で薬を処方されれば、苦痛を少なくできるはずだ。少しでも楽になれば、と水貴は願うような気持ちになった。

同時に頭の中で、水貴はケアプランを練った。−点数は?いや、訪問看護は医療保険からだ、介護保険の点数は使わない。 −区分変更を申請するべきか? しても間に合わない可能性が高いが、デメリットもほぼないから申請するべきか…

おおかたの思考をまとめてから、水貴は家族に手短に説明した。丁寧には説明する必要があるが、長すぎると家族が判断するのに逆に負担になってしまう。

説明する水貴の耳に、車が家の近くに停る音が入ってきた。ああ、東田さんだな、もう30分経ったのかと心の中でつぶやく。

あっという間に時間が過ぎてしまう。これまで水貴が番場の家を訪れていた時は、ゆっくりと時間が流れていたのに。

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