『胃ろう』

介護

「バイパップ(人工呼吸器)の設定はこれでいいでしょう」

遠山医師は機械の設定値を確認し、滝沢さんに話しかける。

私は保健師の岡林さんと往診に同席していた。

遠山先生はクリニックの診察が忙しく、往診を引き受けることは滅多にない。だがALSとなれば話は別だ。

大きな病院でパーキンソン病などの神経難病の診療経験を積んできた遠山医師は地域でも屈指の名医だ。イギリスへの留学の経験もあるそうだが、私とは住む世界が違う。

難病支援を担当する保健師としても、何かと頼りにしているそうだ。

私が関わり始めてから3ヶ月。認定は見込み通り要介護1だった。だが人工呼吸器を使用する時間はゆっくりと、着実に長くなって来ている。

ベッドにもたれかかっていても、少し話をしているだけで息苦しくなって人工呼吸器を使うことになる。

「胃ろうの手術の件ですが、湊記念病院なら受け入れをしてくれるとのことでした」

岡林さんが胃ろうの話を切り出した。滝沢さんとしては胃ろうに躊躇いがあったのだが、日に日に筋力が落ちるこの病気は胃ろうはやはり避けて通れるものではない。

「主人もよくご飯を作ってくれますし、食べられる間は食べたいのですけど…」

そう言って顔を落とす滝沢さんに、遠山先生は語りかける。

「もちろん、食べれる間は食べてもらって全然構わないのですよ」

その語り口は丁寧で、腰が低い。自分の意見を押し付けるような言い方はしない人だ。

「栄養補助剤も処方しますが、たくさん食べるのは大変でしょう。食べれる分だけ食べ、足りない分は胃ろうで補ったらいい。食べる事を楽しむために胃ろうも使うのだと考えてください」

「そう…ですね。そう考える事にします」

「湊記念病院には紹介状を書いておきます。松原さん、胃ろうへの注入の方は手配をお願いします」

「はい。それで先生にお願いしたい事があるのですが」

胃ろうを造設して終わりでは当然ない。誰かが胃ろうに栄養を注入しなければ作った意味がない。誰がケアするかは私が担当し、手配をしなければ。

「訪問看護ももちろん協力はするのですが、看護師だけでは手が足りない。なので訪問介護事業所に協力をお願いしようと思ってるのですが、それにも先生のご指示が必要です」

「承知しました。では書類を書きましょう」

流石に難病に慣れているだけあって、話が早い。

介護福祉士になって更に研修を受けると、胃ろうへの注入や痰の吸引を実施する事ができる。今後はオムツ交換や清拭など、ケアの回数が増えてくるので訪問介護を導入する事になった。夫もすでに着替などできることは介助をしているが、介護疲れが溜まる前にサービスを増やしていく方向で話はついている。

本格的に関わる事業所が増えてきた。ケアプランの変更の頻度が高く、その度にそれなりに悩んでいるのだが…

「ヘルパーさんの手配、ありがとうございます」

滝沢さんがいつもの優しい調子で、申し訳無さそうに言うのだが、あまり気を遣って欲しくもなかった。こちらは仕事でやっているのだから。

何よりも当事者の滝沢さんの気持ちを思えば、ちょっとしたことで頭を抱えてなどいられない。

「いえいえ、今度はあじさいヘルパーステーションの責任者と一緒に訪問しますので、その時にまたお話させてください」

「ありがとうございます。よろしくお願いしますね」

滝沢さんが笑顔を浮かべると、私もほっとした気持ちになる。

「では私はこれで。書類はクリニックに持ってきてもらえればそこで書きますよ」

そう言うと遠山医師は先に退出していった。

私は夫と相談してサービス担当者会議の日程を決める。手帳のスケジュールを確認すると、新規の担当者会議と研修の予定がいくつか入っている。私自身のスケジュール管理も課題だな。

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