『困難事例④』

介護

立山さんは痛みに顔を歪ませながら、ベッドに伏していた。

いつものようにヘルパーが訪問し、オムツを交換しようとすると少し足を動かしただけで痛がる。ベッド柵を持てば横向きになることくらい、いつもならなんということはない。

だがこの日の立山さんにはそれができなかった。なんとかオムツを交換したものの、デイの送迎に備えて車椅子に移乗するなどとてもできたものではない。

その日の提供に入っていたのはサービス提供責任者。自らの判断で冷蔵庫にあった事務所の電話番号に連絡を入れたのだった。

近くにいた私は程なく立山さんの部屋に到着する。道すがら往診医と訪問看護にも連絡を入れた。

「はい…ええ、お願いします」

立山さんの部屋に到着したはいいが、痛がる立山さんに私ができることはない。実際の様子を観察して訪問看護の事務所に連絡するのが関の山だ。デイサービスにも連絡を入れ、今日の利用は中止してもらう。

その間にヘルパーには水分補給を介助してもらう。幸いドリンクの栄養補助剤もあるので、お腹は膨れないだろうが最低限の栄養摂取はできるだろう。

「医師が来るまで私が待ってますから、ヘルパーさんはもう」

「すみません、次の提供がありますので…」

申し訳無さそうにヘルパーは退室する。ヘルパーの訪問は1件だけではない。決められた時間で何件も回らなければいけない。サービス提供責任者とて同じことだ。

入れ違いに訪問看護師が到着、続いてタイミングを合わせたように往診医が看護師を連れて入ってきた。女性の医師だ。

しかし、この状況で何ができるか…。いや、この状況で医師の意見も聞かなければ迂闊なこともできない。私も立山さんも往診医に縋るしかないのだ…。

−−−−

「うーん、折れてはいないとは思うけど…」

医師は立山さんが痛がっている腰を観察し、触診する。腰というより、足の付け根が痛いようだ。

「ヒビは入っているかもしれないわね。ここではこれまでしかわからない。検査をしないと」

骨折か…。いやそれ以外に何かあるかもしれないが、検査をしなければ詳細がわからない。

在宅でできることは限られている。検査を受けるなら病院に行くしかない。いっそこのまま入院してくれるなら、サービスの調整という意味では楽だ。

私の都合ばかりではなく、今まで起き上がって車椅子に座れていたものが急に寝たきりになってしまえば、排泄や食事はどうする?この状況では本人も不安だろう。立山さんにとっても入院した方がいいのではないかと思われた。

「今まで絶対に嫌だと言うからできなかったけど、レスパイト入院しますか?前にも勧めましたよね」

見たところ50代ほどの医師は立山さんに尋ねる。

「病院には行かない」

立山さんは一蹴する。どう見ても病院に行った方が良さそうだが。ここで強情を貫くか。

「病院に行ったって、何もしてくれない」

「でも痛いでしょ?このままここにいて、ご飯はどうするの?」

「行ったって同じよ」

「でもここにいたってご飯は食べられないでしょう?」

10分ばかり同じやり取りが繰り返された。どうしてここまで強情なのか…。こうと言ったらこう、という立山さんのスタンスが、このケースが困難事例である所以だ。

医師と看護師が入れ代わり立ち代わり説得するが、結論は変わらなかった。

「どうやらこれ以上聞く耳を持ってくれないようね」

はあ、とため息をつき、医師は立山さんに尋ねる。「本当に病院に行かなくていい?オムツやご飯は、ケアマネはさんに調整してもらう?」

−おい!そこで私に投げてくるのか。いや、入院が拒否なら私が調整するしかないのだが…

「ケアマネさん、ちょっと」

「はい」

往診医は私を廊下に呼び出す。

「入院するしかないと思うんだけどね。本人が嫌だと言うのを無理に連れていけない。あの人、いつもこうなのよ。病院に入っても、無理を言ってトラブルをまた起こすと思う」

この医師は私より長く立山さんに付き合っているのだ。これまでも散々立山さんに手を焼かされてきた、そう聞いていた。

「このままじゃ生活が成り立たない以上、ヘルパーとかのサービスを増やしてもらうしかないと思う」

「…そう、なるでしょうね」

そうするしかないのだろうが、できるのだろうか私に。オムツ交換や昼食のためにヘルパーに日中入ってももらうしかない。この難しい立山さんのサービス提供を受けてくれる事業所はあるのか。

寝たきりになってしまえば褥瘡のリスクもある。現状のマットレスをエアマットレスに変更しなければならない。難しい調整を私は迫られていた。

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