「なぜ、デイサービスで食事を召し上がらないのでしょう」
「甘いからよ」
「甘い」
甘いとはなんだろう。私は車椅子に座った立山さんの前で正座して座っている。
大量のお菓子や缶詰、レトルト食品で埋め尽くされた部屋はベッドとポータブルトイレと車椅子が通れる最低限のスペースしか確保されていない。
立山さんはこの部屋で生活している。食品は生協で自分で注文している。配達された食品を整理するのはヘルパーだ。もっとも整理すると言っても、ただ積み上げるしかできないのだが。
立山さんの往診に入っている病院から「最近、血液検査の数値が悪くて…。貧血が進んでいるようです」と連絡が入ったのが先週だ。
食事のバランスを改善するようにと医師の意見だが、立山さんは独りで過ごす時間が長く、お菓子ばかり食べている。
せめて週に1回デイサービスに行ったときくらい、ちゃんと食べてくれればよいのだが、聞けば毎回立山さんは1割くらいしか食べていない。
しっかり食事を食べるようケアマネからも説得できないかと打診された。「まあ、お声掛けすることはできるでしょうが、納得されるかどうか難しいですね」としか答えられなかった。
食べない理由から聞いてみたところ、デイサービスの食事が甘いという。珍しいご意見だ。
「あそこの料理はね、ダシのとり方がなっちゃいないのよ」
「料理マンガの主人公みたいな事をおっしゃいますね」
「料理マンガ?」
「いえなんでもありません」
「ダシの味がしみてなくて、甘い味付けをしてごまかしてるのよ、あそこは」
そう言われて思わず私は無造作に積まれたお菓子の箱に目をやる。あのお菓子はダシをちゃんと取っているとでも言うのだろうか。
「もっと美味しいものを作るようにケアマネとしてちゃんと指導してよ」
「ははは。またまたご冗談を。立山さんがダシの取り方を教えて上げてはどうですか?」
「なんで私が教えるのよ。あなたには何を言っても無駄なようね」
答える立山さんも笑っていた。この人は90歳にも関わらず、意見をはっきりした口調で言う。言っている内容は意味がよくわからないことがあるが、今のような無茶振りをされた時ははぐらかすようにしていた。
「ともかく、貧血の兆候があると心配してるんですよ」
「私は新鮮なものしか食べないの」
真面目に言ってみたところで論点をずらされる。まるで笑えないコントをやっているようで、思っていた困難事例と違った。
何を言っても真面目に聞かない立山さんが、何か言ってきたとしても私も冗談めかして返す。そうやって相手をしている私に立山さんは腹を立てるでもなかった。
むしろ笑顔が多く、饒舌だ。今までのケアマネは真面目に相手をしようとして返り討ちにされていたのではないか?と思っていた。
「ヘルパーさんもなんとかしてよ。何にもしてくれないじゃない」
「なんにも、とは?オムツ交換だってしているはずですが」
「オムツ替えてくれてない」
「ちゃんと記録が残っていますよ…。またヘルパーさん代えてってしていると、次の方が見つかりませんよ」
交代して半年が経とうとしている。ヘルパーへの不満は週に1回は本人から電話がかかってくる。携帯電話をいつも持っている立山さんは、往診医やヘルパーへの無理なお願いを繰り返していた。
うちに電話がかかってくる時は、決まってヘルパー交代を申し立てるのだった。いつもなだめていたが、一度やむなくヘルパーを交代せざるを得なかった。
何度も引き下がるわけにはいかない。本当にヘルパー事業所が見つからない可能性がどんどん高くなってくる。
「それをなんとかするのがあなたの仕事」
「できることには限界があります」
立山さんに本音を告げる。「もう少しこちらの言うことも聞いて頂きませんと」
「私、なんでもあなたの言うことを聞いてるじゃない」
どの口が。立山さんは笑っている。「ご冗談を」と私も負けずに笑い返す。
実りのない時間が過ぎ、私は退室した。
−−−−
「てな感じで、昨日もそんな調子でした」
「他に何か酷いこととか言われませんでした?」
翌日の朝一番、包括に寄り、内容を報告する。
「特に何も」
「うーん、今はかなり落ち着いてらっしゃいますね…。しかし立山さんいつも無茶を言って…、言われて腹が立ちませんか?」
「いえ腹が立つだなんて。口八丁な方ですが、はぐらかせばなんとかなりますし」
折に触れセンター長はこのケースを気にかけてくれている。交代してから、特に荒れているということはない。相性というやつだと私は思っていた。とても手間はかかっているが、この程度なら構わない。
問題は緊急事態が発生した時に対応しきれるかだが…。そう考えていると、社用携帯が鳴る。事務所からだ。
「松原さん、今立山さんの家の近くに行ってるのよね?すぐに動ける?」
「何かありましたか?」
「送り出しヘルパーさんから連絡があったの。今日はデイサービスの日だけど、立山さん、腰が痛くてまったく起き上がれないって」
「!」
すぐに向かいますと答え、通話を切る。包括のセンター長も重大な事態だと察したようだ。
「すみませんセンター長。私はこれで」
痛くて動けない原因はなんだろう。とにかく行くしかない。
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