「あの、すみません…。マスクを着けてもいいでしょうか?」
息切れを抑えながら滝沢さんが言う。
調査員は私の方に顔を向けたので、私はうなずいた。
「無理なさらず、どうぞマスクを使ってください。ここからは普段の様子をお聞きするだけでじゅうぶんですよ」
調査員の言葉に滝沢さんは「すみません」と答え、マスクを装着し人工呼吸器のスイッチを入れた。
ランプが点灯し、空気の流れる音が聞こえてくる。
認定調査として、滝沢さんが寝返りをする様子や、立ち上がる様子を確認できた。筋力が弱っているとは言え、少しの動作なら家具につかまれば滝沢さんは行うことができる。
だが、確認動作をするうちに息切れが始まり、顔色も悪くなってきた。ここが限界だろう。これ以上無理をしてもらうわけにはいかない。
「普段の動作で確認がまだできていないのは歩行…ですね。ケアマネさんから見てどうですか?」
酸素を吸っている滝沢さんには、話すことも負担になってしまうかもしれない。調査員は私に確認を求めてきた。
「はい、体調にもよりますが、少しずつ休憩しながら歩いておられるようです。2〜3メートル歩くと、息が上がってしまって負担になるので、立ち止まりながらですね」
「なるほど、続けて歩くことは難しいということですね」
「はい。もちろん、今のように人工呼吸器が必要になるほど疲れてしまうと、しばらく休まなければ動くのは難しいでしょうね…」
調査に同席している夫は、心配そうに滝沢さんを見ていた。
思ったより息切れが早かったのは、滝沢さんが調査に緊張していたのもあるかもしれない。さっき行ってもらった立ち上がり動作にしても、緊張して少し力んでしまったのかもしれない。普段の生活の様子を確認する調査ではあるのだが、普段通りに、というのは意外と難しいものなのだ。
その後も調査は淡々と進んでいった。着替える時は、食事をする時はどうしているのか、それぞれの質問には夫が答えてくれた。
滝沢さんは時おり頷き、無理のない範囲で声を出して答えスムーズに進んでいく。
意思疎通が明快な滝沢さんの調査が終わるまで、そう時間がかからなかった。
「以上で終了です。ありがとうございました。滝沢さん、ご協力頂いてありがとうございます」
マスクをした滝沢さんは、笑顔で応えた。調査が終わってほっとしたのかもしれない。
−−−−
入れ違いで入ってきた福祉用具相談員の平野さんと、ベッドの設置位置の検討を始める。
夫はこの日のために部屋を整理して、療養のための部屋を作ってくれていた。3LDKのマンションの一室が、これから療養のためのスペースとなる。
「ここに置いて頂けると、ベッドの上でテレビが見やすいかと思いまして」
夫の言葉に私達は頷いた。
部屋のレイアウトは申し分ない。収納の開け締めを邪魔する事も、動線を塞ぐ事もない。
「では、設置を始めて行きますね」
「お願いします」
介護用のレンタルベッドは組み立て式で、マンションでも問題なく搬入する事ができる。設置は業者が行うので、負担がそれほど大きなものにはならない。
さて…
先程の調査の様子を思い返しながら、介護度の見込みを考える。やはり要介護1、と言ったところだろうか。要支援2の可能性も無くはないが、そうなったとしても大きな支障はない。
ベッドや車椅子をレンタルで利用するには、原則として要介護2以上が必要だが、例外がある。
調査を確認したら、やはり少し歩いただけで息切れしているし、人工呼吸器を使っている間は極力身体に負担をかけない方がいい。背もたれなしに座っているのだって負担になりそうだ。やはり例外を適用して福祉用具を使った方がいい。
滝沢さんと夫に改めて意向を確認すると、やはり福祉用具は今のうちから使いたいとのことだった。
となれば、やることは決まっている。
−−−−
数日後、市の窓口に私は訪れていた。
「例外貸与の申請ですね。認定はまだ出ていないと…」
「はい、これが申請書です」
電話で確認したところ、市としては介護度が確定してからの申請で構わないとのことだったが、可能なら申請書を提出してくれれば受け付けるとのことだった。
主治医の遠山医師の元に行き、必要な医師の所見を記入してもらっている。
『疾病その他の原因:筋萎縮性側索硬化症
医学的所見 :上記の疾病その他の原因により、状態が変動しやすく、日によって又は時間帯によって頻繁に「起き上がりが困難な者」か「寝返りが困難な者」のいずれかに該当する
:上記の疾病その他の原因により、状態が変動しやすく、日によって又は時間帯によって頻繁に「歩行が困難な者」に該当する』
滝沢さんは調子が安定していれば起き上がる事も歩くことも少しならできる。だが1日の内で人工呼吸器を必要とする時間帯があり、疲れてしまえば歩くことも起き上がる事も難しい。申請する理由としては充分だ。
サービス担当者会議の要点と申請書類を確認した担当者は「確認しました。確認印を押しますので少々お待ち下さい」と言ってくれた。
福祉用具の利用についてはこれでクリアとなる。
当面さしあたって、次の課題は往診か。次を考えると私はまだ安心できなかった。
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