『メニュー表』

介護

「管理栄養士さんが作ったレシピを拝見しました。これなら滝沢さんも無理なく食べられると思います」

言語聴覚士の安藤の評価に、水貴は安堵する。水貴は訪問看護ステーションに電話をして、滝沢のケースの相談をしていた。

ALSは水貴にとっても初めて経験するケースだ。言語聴覚士に管理栄養士、食事に関してここまで専門職のアドバイスをもとに、サービスを練った事がない。

ケアマネジャーとして様々なケースを経験することで、初めて専門職としての成長が得られる。稀にしかない難病であるALSを受け持つ事は、他には得難い経験を水貴に与えるのだった。

「では今後も管理栄養士さんにこの方向でメニュー提案をお願いしていきます。水分摂取も気にはなるんですが」

嚥下能力が低下すると、水を飲む事であっても容易ではない。場合によってはトロミをつけなければいけない。ALSに限らず、病気によっては嚥下能力の障害が発生する場合がままある。

「水が飲めるかはよく確認するようにしているのですが、今はちゃんと飲めています。もちろん気づいた事があればすぐに連絡しますよ」

「お願いします。ありがとうございます」安藤の答えにまた安堵し、水貴は礼を言った。

受話器を置いた水貴は次の訪問スケジュールを確認した。滝沢宅を訪問するのは明後日だ。

ケアマネジャーは最低で月に1回、利用者宅を訪問しなければならない。逆に言えば順調であれば月に1回の訪問さえすれば良い。だが水貴は最低でも月に3回は滝沢宅を訪問していた。サービスを変更する必要性があればすぐに対応しなければならない。今は順調にサービスのスケジュールが動いていても、いつ何があるかわからない。

滝沢の経過を見るに、状態が変化する兆候を見落としてはならないと水貴は常に気を張っていた。

−−−−

滝沢宅の訪問日は雨だった。いつも自転車で訪問している水貴は雨の日は早めに準備し、書類を濡らさないように鞄をしっかりとビニールでくるみ、訪問に出るのだった。

玄関先で管理栄養士の是枝と待ち合わせていたのだが、その日は是枝も早く着いていた。レインコートを脱ぎ水貴は挨拶する。

「全然やまないですね、雨」珍しく雨天が続き是枝も憂鬱そうだ。

「今年は雨が多いですね」雨で髪がまとまらず、水貴もうんざりして言う。「少し早いですけど、お邪魔させていただきましょうか」

そうして2人はインターホンを押すのだった。

「お忙しいところすみません」と滝沢の夫、宗介が顔を出す。すぐに出迎えられ、部屋に通される。滝沢喜美子はマスクを着け、ベッドで休んでいた。

「滝沢さん、今日も新しいレシピを持って来ましたよ」是枝は鞄からバインダーと紙の束を取り出し、滝沢喜美子に語りかけた。

「ありがとうございます」喜美子が笑顔を見せた事が、酸素マスクを着けていてもよくわかった。

「最近は食べられていますか?」と問う水貴に、「やはり少しずつ減ってますけど」と喜美子は答える。

「これ、ここ1週間の食事を書いたんですけど」と宗介がメモ用紙を取り出した。その言葉に是枝も水貴も驚き、視線を宗介の手元に向ける。

「書いていたんですか?毎食?」

是枝が驚くのは無理もなかった。高齢者の夫婦世帯では、妻が家事一切を担っていることは少なくない。その家庭のそれまでの生活スタイルはそれぞれだが、夫が調理を担う事はそう多くはない。妻が病気で介護が必要になったとして、では夫が家事を全て担っていけるかというとそれは難しいだろう。

だが宗介は今介護も家事も担っている。もちろん介護は、介護サービスを利用してなのだが、難病の喜美子の体調に合わせて調理をしているのは実際に凄いことだ。それだけでも水貴達は驚いていた。

そして今、管理栄養士に食事の内容を伝えるために、普段作った食事を記録して見せてくれている。卵豆腐や鮭の塩焼きなど、ありふれたメニューではあるが、それを書き留めているのは宗介のマメな性格の為せる事なのだろうか。

「ありがとうございます。これ、食事のカロリー計算の参考にさせてもらいますね」そう言って是枝は、メモを受け取り、しげしげと眺めていた。

もともと、管理栄養士が栄養のアドバイスをした上で、食事を作るのは夫、という考えで導入したサービスではある。夫の介護力が無ければサービスを導入したとしてもうまくいく保証がない。だが、宗介は管理栄養士のアドバイスを参考に食事を工夫してくれて、更に記録まで作ってくれた。

介護サービスはあくまでも本人と家族が主体の生活を支えるものだ。介護力が厳しいなら厳しいで、調整の必要がある。家族が生活について考えてくれるのであれば、それを活かして更に生活を充実させる為に何ができるのか。

それを考えるのが、水貴の仕事だ。


福祉・介護ランキング

コメント

タイトルとURLをコピーしました