食べようとしない人にどう接するのか

介護

介護は長期戦になることが多いですが、どんなに介護を頑張っていてもご本人の死期が近づいてくる時が訪れます。

終末期の状態はご本人によってそれぞれ違うもの。

認知症が進んで自分の意思を示すことが時間をかけて難しくなってきてしまう場合もありますし、お元気だった方がガン末期で急激に衰えてしまう場合もあります。

介護をされるご家族にもいろいろな想いがあるかと思います。

緩和ケア医がTwitterで以上のような意見を述べておられました。

食べるという行為をしなくなったご本人に対して、家族が「お父さんは食べるのが好きな人だったから」と無理に食事をさせようとしてしまう。

患者さんがどうして食事をしなくなってしまったのか触れられていませんでしたが、「今現在食べなくなったことがご本人にとってのファイナルアンサー」という言葉に状況が集約されていると思います。

「食べるのが好きな人だった」と言っても、食べるのが嫌いな人はあまりいませんよね。そしてご本人が今も食べることを楽しみたいと思っているのであれば、家族が無理に食べさせなくても、ご自分から食べるなり食事介助で食べたりのアクションを自分から起こされるのではないでしょうか?

食べることにはリスクもあります

認知症や衰弱でだんだん食事が摂れなくなっていくご本人を心配するご家族も多くいらっしゃいます。そのお気持ちはよくわかりますし、「いっぱい食べて以前のように元気になってほしい」とか「せめて少しでも食べてくれると安心」という思いもあるかとは思います。

しかしこれは場合によりけりなのですが、あまりに衰弱した方に食事をしてもらうのはリスクがあります。

口から喉に食事を送り込む際に、誤って気道に食物が詰まって窒息してしまうかもしれません。窒息まで行かなくとも、誤嚥性肺炎を起こすかもしれません。

ご本人が「リスクがあっても食事を食べたい」とおっしゃる場合はその方をサポートする医療職も介護職もその意思を無下にはできません。しかし本人が意思表示をできない場合、ご家族の想いだけで食事を摂らせてしまうのも、また違うのではないかと思います。

もちろんご家族の想いを汲み取ることだって大切なことだと思います。終末期医療を特集したテレビ番組を観た時には、高齢の妻を介護するご家族と、在宅医のやり取りが放送されていました。

在宅療養を続けている90代の女性が自宅で高熱を出しました。もともと認知症もあり、意思表示はあまりできない状態でした。家族はようやく意識を取り戻したご本人に、少しずつ食事を食べさせます。

そのお宅に訪問した往診医は食事を食べさせていることについて「ご本人の状態から判断して、リスクの高い行為」と認識しました。ですが、在宅で介護を続ける家族の気持ちを汲み取ることも大切と考えた上で「ご主人は食べさせてあげたい。水だけでは生きていけないし。ジレンマですよね」とご家族にお話しされました。

このケースでは

・食事の量こそ減っているが、ご本人はまったく食事を受け付けないわけではない。

・食事を摂ることはリスクが高いが、それを伝えた上でご家族の食べさせたいという想いを在宅医は尊重した

点がポイントかなと思います。

終末期医療でもその他の日常的な介護でも、これが正解とはなかなか言えないのが医療や介護の難しさですね。

そしてご本人の想いも、ご家族の想いも、時間の経過によってや状況の変化によって変わることはざらにあります。意思決定をどう支援していくか、が重要なポイントになります。

どれが正解かとは答えが出せないのが介護ですので、この場合点滴をした方がよかったのか、それともしない方がよかったのかは一概に言えることではありません。

しかし上記にあげたケースでは医師はご家族の想いを聞き、専門職としての意見を伝えた上でご家族に判断を委ねたことは適切な行為だと思います。

聞いた話では「点滴をするとご本人が苦しみます」とご家族に脅しのように言い、自分の意見を押し付ける介護施設もあるようですがこれは不適切なケースです。

在宅介護で終末期に関わる介護職も今後増えると思われます。介護職にかかる精神的負担も相当なものになるでしょうし、御家族にとっても同じかそれ以上の負担となるでしょう。

意志決定支援や終末期のあり方を考えるのは容易ではありません。

ただ、ご家族の想いだけで突っ走ってしまうことや、専門職が自分の意見を押し付けることは、現時点では不適切なケアにつながる可能性が高いと言えるでしょう。

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