皆さんこんにちは、雪乃です。
久しぶりに発達障害の話題に行きたいと思います。
ある介護関係の方が「僕はADHDだと思うけど、もしそれで診断されてしまったら、僕は僕でなく『ADHDの人』として見られるようになってしまう。それが嫌だから診断を受けない。その人をその人として認めろ!」と言っていました。
ADHDとしてラベルを貼られる事が嫌なのだと思います。それはそれで構わないんですが
言ってる貴方が、ADHDの人を『ADHDの人』としてラベリングしているのではないか?
と思う案件です。
確かにADHDと診断されたら、その人の事をADHDの人として、ステレオタイプの見方をする人がいるかもしれません。
ですが、そんな見方をする人の事は気にしなければいい。
私、雪乃はADHDです。別に隠していません。
雪乃は雪乃です。ADHDとしての特徴を兼ね備えているかもしれませんが、雪乃はADHDなのではなく、雪乃は雪乃です。
私がADHDとして診断された事によって、自分のADHDの部分を理解する事ができましたし、不注意の部分を服薬でカバーするきっかけを与えてもらいました。
日常生活上でどのような点に注意すればいいか、気づくきっかけが得られました。
それは大きな事でもあり、それだけの事でもあります。
別にADHDであることが私の全てではありません。他にも私は私としてのアイディンティティがあります。
私がADHDであるからと言って、私の事を『ADHDの人』としか見ない人が周囲にいたとて、多少傷つきはするでしょうが、そんなの偏狭な物の見方をしてる人だなとしか思えません。
介護関係の仕事をしてたら普通は気づくでしょう?認知症の人、高次脳機能障害の人、精神疾患の人、いろんな人がいます。
認知症や高次脳機能障害や精神疾患がその人の全てではない。あくまでもそれはその人が持つ要因の1つでしかないです。
診断されたらそれがその人の全てだと思ってしまう、世の中にはそういう人もいるかもしれませんが、福祉職でそれでは失格だと思う。手厳しい言い方かもしれませんが。
その人を助ける手段の1つが診断です。別に人をラベリングするために診断しているのではない。
診断されたら、ラベリングされカテゴライズされるというのは、自分自身が偏見を持ってるからそう思うのですよ(断言)。
一部に偏見を持つ人がいようが、ADHDとして診断された私は、私として生きている。私を私として認めてくれる人は普通にいるし、私自身が認めている。
認めろ!とわざわざ貴方に言ってもらう必要はないです。
被害妄想を持ち込むなという話ですね。
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