『涙』

介護

松原水貴は焦っていた。

「母が今日、退院することになりました。ガンが内蔵に転移していて、もう手の施しようがないと言われたんです。

そして母はどうしても自宅に帰りたいと…。

医師は「この状態で自宅に帰るのは危険です。いつ何が起きても責任は取れない」」と言っていました。

もう母には残された時間は少ないです。家族で話して最後を看取ることにしました。

でも家族は今、気持ちが揺れています。この土日をどうしたらいいのか…」

娘からの電話を受けて、水貴は「今から向かってもいいですか?行って事情を聞かせてください」と答え、慌てて事務所を飛び出したのだった。

金曜日の午後、今から話を聞けば、すぐに打てる手はあるはずだ。

水貴は自分に言い聞かせ、自転車を急がせる。

事情はまだ飲み込めない。利用者の番場さんは、肺炎が疑われて入院したはずだ。それが入院3日後にこのような連絡が来るとは全くの想定外だった。落ち着いたら自宅に帰ってくるはずではなかったのか。事務所から番場さんの家には10分で着く。その10分がとてつもなく長い時間に、水貴には感じられた

「松原さん」

到着した水貴を、白髪混じりの男性が出迎える。この方は長男だ。車で15分ほど離れた場所に住む長男は、週末は必ず番場さんの家を訪問し、一緒に食事をして、1泊して帰る生活を1年ほど続けていた。

退院を報せたのも長男だ。訪問した水貴に気づいて、家の中から長女と次女も家から出て水貴を出迎える。

水貴は慌ただしく家の中へと招き入れられる。

「母の顔を見てやってください」そう声をかける次女の顔は、これまでに見たこともないほど憔悴していた。

家の主、番場ユキエは夫を亡くしたあと、独居生活をしていた。10年ほど以前に胃癌を患い、胃の一部を切除していたが、以後は大きな体の不調は訴えたことがない。1年前に圧迫骨折をしていて要介護認定を受けていたが、気丈で、おしゃべりが好きで、デイサービスに通ってカラオケを楽しんでいた。

圧迫骨折後も訪問看護ステーションからのリハビリを受けて、順調に回復していた。屈んで掃除をするのは大変だからとヘルパーも訪問していたが、出来ることは自分でやりたいと調理は自分でしていた。

もうすぐ90歳の誕生日を迎える番場は、その立ち居振る舞いから年齢を感じさせなかった。熱があり酸素飽和度が低下して、入院となったのが今週の初め。すぐに帰って来るだろうと水貴は信じて疑っていなかった。

それだけに今日の長男から連絡は水貴に思いもよらぬ動揺を与えた。水貴自身がその事実を受け止め切れないでいた。

力なくベッドに横たわる、番場の姿をその目で見るまでは。

「ああ…」

居間の扉を開けた水貴の目に、肩で息をして力なく声を発する番場の姿飛び込んで来る。在宅酸素機器を導入する業者もそこにはいた。

酸素の流入量を調整し、業者は番場の口にマスクをあてがう。酸素の吸入が開始されたが、呼吸の苦しさはいまだに残存している様子で、番場は声を出すことすらままならなかった。

「ガンが肺に転移していたようなんです。入院中に急に酸素飽和度が下がって…。肺に水が溜まっているし、血液も混じっていたみたいなんです。これはガンの肺への転移に間違いないだろうと、先生が」

「先生は、他になんと?」説明する長男に、水貴は問う。

「自宅ではもう何もできないので、2週間もつかどうかと…。でも母はどうしても自宅に帰りたいと強く願ったんです」

「そう…ですか」

水貴にも辛い光景だった。家族もみな、悲痛な顔をしている。今日は金曜日だ。明日から土日は家族は泊まり込んで本人についているという。しかし、家族だけで十分に介護が出来るわけではないだろう。

オムツは誰が?急変したら?食事は食べられるのか?今日、決められるだけ決めなければいけない。本人の想いも、家族の想いも聞かなければ。

悩んでいる暇はなかった。水貴はポケットから携帯電話を取り出し、電話帳を開く。まずは訪問看護師を呼ばなければ。今、すぐ。

携帯を取り出す時、水貴の手は震えていた。だが、コール音が耳に入ってくると、不思議と神経が研ぎ澄まされる。悩んでいる暇など、ないのだ。

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コメント

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