いつもありがとうございます。介護施設の利用者からの暴力は悩みの種なのですが、暴力を振るう方も必ずしも悪気があってやっているわけではない。ですがその暴力を正当化する理由があるのか?について考えてみました。
利用者から暴力を振るわれた介護職、家族からのクレームもあり退職する
介護をしていると、上記の例のように暴力を受けてしまうことはままあります。介護職だって、誰も殴られたくて介護をやっているわけではない。暴力を受けないための工夫はいつもやっています。
そこで家族の方にご理解を得られればまだ救いがありますが、それでも無理に介助をして入浴させろと言われても施設にできることには限界があります。
殴られたスタッフさんは担当を外されたとのことですが、その後施設ではどうやって対応したのでしょうか。他のスタッフが殴られても耐えながら入浴介助をやっているとしたら、やるせない話です。
ニュースでは利用者に対して暴力を振るった介護職の話が大きなニュースになります。
ですが、殴られながら介護をしている介護職の話はニュースにならない。
あまりにも非対称です。何がなんでも暴力を無くせとは思わないけれど、殴られている介護職の気持ちが顧みられないと職場を去る介護職員が増えてしまうのではと思います。
介護職が殴られている話を聞いても何も思わず「そんなことより介護をしろ」というご家族の話を聞くとなんともやるせません。中には「それは対応が悪いから」「殴られないように対応をするのがプロ」などと言う方もいます。
しかしこういうと何さまかと思われそうですが、プロの対応をもってしても暴力が振るわれてしまうから困っているのです。
もちろん、暴力を振るってしまう方が認知症だったとして、ご本人も好きで認知症になったわけではない。そこを責められるわけではないですけど、前提としては介護する職員の安全が守られないと介護も何もあったものではありません。
利用者の安心・安全・安楽が守るための介護だと思いますが、同時に職員の安全も守られなければ介護は成り立たないと思います。
施設入所者は自由がなくて不幸なのだから、暴力を振るっても仕方がない?
ある介護関係者のツイートで、施設入所と暴力について述べたものがありました。
その論旨は
・利用者からの暴力で、介護職の人権が守られていない。それは介護の現場に身を置いてきたからわかる。
・しかし、介護施設の中で最も自由を制限されているのは入居者だ。
・確かに介護職は暴力から守られていないが、その不幸は自由を制限されている利用者の比ではない。
・利用者の自由を不当に制限しないよう、いいケアが必要だ。人に不当な制限をかけたり自由を奪っていたら介護職が自分自身を損なってしまう。
というものでした。
私の読解力が足りないからか、端的に言って意味がわかりませんし、何が言いたいのかが伝わりません。
いろいろ解釈を試みると、言いたいことの1つは
確かに介護職だって暴力を振るわれて守られていないが、入居者は入居で自由を奪われているからもっと不幸なのだ
ということなのでしょうか?
そう解釈したとしても、意味がわかりません。介護職の不幸と、入居者の不幸を比べたってなんの意味もないからです。
もっと言えば、介護職が殴られていたとしても入居者の方がもっと不幸だから仕方がないと言っているように見えます。
しかし
不幸だったら人を殴っていいとか、そんなルールはありません。暴力をそのような雑駁な理屈で正当化しようという発想自体が、不道徳です。
また、施設に入所することは、自由を奪われることであり、不幸なことであると述べていると思いますが、前提から間違っていると思います。
施設入所は不幸なことなのか?
確かに施設入所をすると、ある意味で自由は束縛されます。
嚥下能力の低下した人が深夜にカツ丼を食べたいと言ったとしても、普通の施設ならまず食べさせません。
嚥下能力が低下している人が、能力に見合わない形態の食事をしてしまうと、のどに詰めてしまうリスクが高いからです。
施設でそのようなことが起きれば事件です。いくら本人の希望だったと言っても、家族が納得するかどうかはわかりません。仮に家族の同意を得ていたとしても、意見を翻す家族だっていますし、今まで介護に関わってこなかった家族が問題視する可能性だってあります。
もし訴訟されたら「嚥下機能が低下していることを職員は理解しており、事故は予見できたにもかかわらず、安全配慮義務を怠った」と指摘されると言い逃れは難しいと思います。
そうなったら「ドンマイ、お疲れ」などとは言っていられないので、施設の取り決めやルールは守っていただく必要があります。入所者一人一人にルールを守っていただくのは、他の利用者のためでもあります。
そしてそもそも、入所しない自由もあるということを、発言者は忘れているように思えます。
入所が不当な権利の制限を課される不幸なことであると思うのであれば、入所をしなければいいだけだと思いますが、どうでしょうか?
自宅だったら自由を満喫できます。もちろん法律やマナーはどこにいたって守らないといけないわけですが、少なくとも深夜にカツ丼を食べることはできる。天丼を要求したらラーメンしかなかったので、ラーメンで我慢するということだってしなくていいのです。
自由がそんなにいいと言うのなら、わざわざ施設に入ってそこで少しでも自由を求めていくなんてことをしなくても、最初から自宅で生活するようにすればいいだけでしょう。なぜそうしないのか?
それは、自宅での生活では安心・安全・安楽な生活が送れないから、施設入所しているからでしょう。
自宅で自由を満喫できるのであれば、自宅での生活を望む人は多いのではないでしょうか。少なくとも何も理由がなく費用もかかる介護施設に入所する人がそんなに多いとは思えません。
日本では40歳以上になれば介護保険に加入します。そこで何らかの要因で要介護状態になると(保険事故)介護保険のサービスを利用できます。
この保険事故こそが、利用者の選択肢を狭め、自由を束縛する要因になっているととらえるべきでしょう。
そして、施設という集団の場でルールを守らなければならないのは当然であり、それを「不当な制限」と表現することはそれこそが不当な言いがかりであると言ってよいかと思います。
施設で不当に利用者の行動を制限すれば、それは拘束です。しかし、危険な行為をしかねない方に対して行動を制限するのは利用者本人の安全を守るためにもなるはずです。
施設を守るために課されたルールであったとしても、施設を守ることはひいては利用者を守ることにもなります。
そして、仮に施設を利用している人が不幸を感じているとしても、人に暴力を振るうことが容認できるとは思えません。
冒頭のツイートにあった施設の職員は、最終的に職場を去ることを選択しています。
利用者も職員も、守られなければいけないのは当然のことだと思います。
どちらかが蔑ろにされると、介護は成り立ちません。
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