主任さんは早く帰りたい②:後編

小説

「…お前がやれよ」

しまった、つい言ってしまった。この場にいるのが藤野さんだけなら全然いいんだけど、今は斎藤さんが来ている。

さすがに斎藤さんの前ではまずかったか…。いや、さすがにもう限界だ。ダンボール置きっぱなしで帰ってしまうとはどういう了見だ。

だいたい、早く来て準備してたからってところが怪しい。私と藤野さんが出てきたら、私達デイサービスの担当の部分は手つかずだった。私が机を並べて、藤野さんは氷を取りに行き、水貴ちゃんはクーラーボックスに水を入れていた。私達はクタクタなのに、小阪主任ときたら写真撮ってばかりじゃないか…

お客さんが沢山来たのはありがたいが、こんな調子じゃ手伝いに来てくれた斎藤さんに申し訳ない。藤野さんは小阪主任が残したメモを手に、顔がひきつっている。斎藤さんは…

斎藤さんはイベントの間、時々慌てながらも、凛々しい顔をしていた。皆でジュースを飲んだ時にはだいぶ砕けた表情になっていたが、ハキハキした喋り方や明るい表情が印象的だった。だけど今は、積まれたダンボールを前に、脱力した顔をしている。半目になって呆れているようだ。巻き込んでしまってゴメン。私は心から思うのだった。

その日は結局、残業だった。

−−−−

エピローグ:松原水貴

私は肩まで伸びた髪にドライヤーをあてる。

終わったらビール飲んで寝よう。ふう…と口から息が漏れる。疲れ半分、安心半分ってとこかな。

藤野さん達大丈夫だったかな。会場の撤収は無事に終わったけど、気がかりだった。

プシュっと私は缶ビールを開ける。

それにしても…斎藤 菫(すみれ)さんだっけ。今日は彼女が来てくれて良かった。

スーパーに向かう時、正直なところ焦りでいっぱいだった。早く戻らないと、とは思うもののジュースは重いし、レジは混んでるしで気持ちがうわついて仕方がなかった。

そこを、斎藤さんがひょいと荷物を次々にカートに載せてくれた。意外なほど力があるんだな。精算の時もすぐに車に走ってくれたし…

斎藤さんを見てたら、カッコよく、頼もしく、いつの間にか私は安心したいた。

−「や、大丈夫だよ。このペースなら間に合うって」

思えばあの時、不意にタメ語で話してしまっていた。まあ彼女は2歳下だし、向こうも気にしてないかな。ふっ…と今日のことを思い出すと、なんだか笑ってしまう。

…それにしても

−「飲み物は多めに用意しといた方がいいですよ。お茶だけでも最低100は…」

−「オーケーオーケー、大丈夫!」

というやり取りを小阪主任としていた記憶があるんだけど、あの人は忘れたんかな?

いざ飲み物を冷やす段になって、想定してた半分くらいしか飲み物がなく、ずっと不安だった。藤野さんの話じゃ、買い出しは小阪主任が1人で行っていたとのこと。藤野さんに心配をかけないよう、その場では何も言わなかったけど…

案の定、後になって飲み物が足りなくなった。

−「飲み物がない!誰か買いに行かないと!」

あの時いちばん騒いでいたのは小阪主任だった。だから事前に多めにしろと言ったろうが。忘れたんかな?

…もう思い出すのはやめよう。ビールが不味くなる。

気分でも変えようと、私はスマホでwebラジオのサイトを開く。

最近はYouTubeみたいな動画サイト以外にも、音声のみの配信が誰でもできる。だからwebラジオで自分のチャンネルを開設する人もいるみたいだ。

このサイトは過去の配信のアーカイブと、生配信を選んで聞くことができる。最近は暇つぶしにちょこちょこ聴いている。

『たっちいの介護生ラジオ!』

見慣れないチャンネルだけど、介護関係か。それなら聴いてみるか。

『えー、みなさんこんばんは!本日、初配信… の気に…や最新… … …です』

雑音ひどいな。音もところどころ割れていて聞き取れない。初配信だしね。

『今日から始める予定で… してたんですけど …マイクが壊れて、慌てて今日の夕方買いに行ってきました』

音声が安定してきた。割れていて聞きにくいけど。へえ、配信者も大変だな。慌てて買い物と言ったら私達も大変だった。

『今日はですね!私達の法人でイベントを開催しまして!結果は大成功!チラシも冷えたジュースも好評で、沢山の方に喜んでいただきました!』

急に音声がクリアになる。耳に飛び込んで来たのは、野太い、どこかで聞き覚えのあるような声だ。話の内容もどこかで聞いたような気がする。

「あっ…」

つい声を出してしまった…と思った瞬間、慌てた私はビールの缶を倒してしまっていた。

《イベント編・了》


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