Uberを自由に頼めない特養は、刑務所なのか?

介護
雪乃
雪乃

いつもありがとうございます。最近、介護施設での自由について論じる機会が多くなってきました。在宅でなくて施設で生活するのであれば、思い通りにいかない部分も多々あって当然だと思うのですが、そのような施設の在り方を一方的に非難するような意見もあり、今回はそれに反論していきたいと思います。

小規模多機能型居宅介護と特別養護老人ホームは同列に比べられない

Twitterで小規模多機能型居宅介護の管理者を名乗るアカウントが

「うちは小規模多機能なので、利用者がカップ麺を食べたいと言ったらお湯を注ぐし、カツ丼を食べたいと言ったらUberを手配します。特養とかだったら無理って言われたりするんでしょうね。刑務所みたいw」

などという、不謹慎極まりない投稿をしていました。

あらためて小規模多機能についてさらりと解説しておきましょう。

小規模多機能は、在宅で受けられる介護サービスの1つで、1つの事業所から利用者の状態像に合わせて「訪問」「通い」「泊り」のサービスを一体的に受けられます。基本的に1カ月の費用負担は介護度に合わせての定額制ですが、通いのサービスを受けて昼食を施設で提供されれば昼食代の負担が、泊りを利用すれば施設で食べる食事代+部屋代を負担することになります。

状態が安定している時は訪問のサービスを中心に受けたり、状態が悪化した時は泊りの回数を多くして見守りを手厚くしたり、柔軟なサービスを受けることができます。要支援1から利用することができます。

対して特別養護老人ホームは、施設でのサービスとなります。こちらは要介護3以上からでないと、入所の申し込みができません。

どちらも介護保険法に基いて定められているサービスになりますので、介護保険法の理念に基づき、サービスの利用者が可能な限りその有する能力に応じて自立した生活が営めるように、提供者は努めなければなりません。

しかし、ここまで述べてきた中で明らかなように、小規模多機能型居宅介護は在宅での生活を前提としたサービスで、利用者の中には介護度の軽い方もいらっしゃいます。対して特別養護老人ホーム(以下、特養)は、要介護3以上、介護度の重い方が優先して受け入れされるので、在宅での生活がかなり困難な方ばかりの対応をする施設となります。生活の場も、施設です。

同じ介護保険により定められたサービスでも、その性質はまったく別物と言ってもいいくらいでしょう。

介護度が同じだからと言っても利用者の状態像は様々なのですが、要介護1と要介護5では、必然的に生活する能力や意思決定能力に差が生じます。

Twitterでの当該発言主は、うちではカップ麺の提供やUberの手配ができると胸を張っているのですが、自分でそのような意思表明や、カップ麺の持ち込みができる利用者は、そもそも特養の利用者とはかぶらないでしょう。リクエストに応じる場は、一応は泊りでのサービス提供中ということなのでしょうが。

カップ麺の調理やカツ丼の喫食を要求する利用者は、介護度が低い方なのではないでしょうか?また、特養は所得や資産に応じて利用料が減免されるので、金銭的に余裕がない利用者が必然的に多くなります。利用者の経済的状況もまた、小規模多機能と特養では違います。

経済的に余裕のない方や、介護ニーズの大きくなった方を受け入れる特養には、高齢者介護の最後の受け皿としての存在意義があります。

確かに特養でカップ麺の調理やカツ丼の喫食を要求しても、それに応じることは現実的に難しいでしょう。ですがすでに特養は介護ニーズ、経済的に行き場のない人を受け入れるという社会的な責務を果たしている施設です。

そして特養はそのようなニーズのある方に介護を提供する役割を担っている以上、特養の介護現場では職員が自力で寝返りを打つことも、口から物を食べることも困難な方の対応をしているのです。少し目を離しただけで、自分で歩こうとして転倒してしまう方だって、食べられない物を食べようとしてしまう方だっているでしょう。もちろん小規模多機能でも、重度の方の対応はしているのでしょうが、比率の問題です。

その特養をつかまえて、小規模多機能でできていることをできないからと言って非難することは、侮辱です。

特養は必要不可欠な施設です

ここまで小規模多機能の管理者をしている当該発言主に強い批判を述べましたが、私は小規模多機能という施設の在り方を否定しているわけではありません。

在宅介護のケアマネとして、デイサービス、デイケアや訪問介護、ショートステイの予定管理をしたり、事業所と利用者の間に入って調整を担うのは、それなりに苦労をすることです。新たなサービスを導入する時は、調整の苦労がありますし、利用者だってそれぞれの事業所と契約などの手続きをしなければなりません。

ニーズの変化に即応するのであれば、小規模多機能が在宅生活を支援するサービスの一部を担い、重要な役割を果たしていることは動かない事実です。

しかし、繰り返しになりますが、サービスの性質としては大きく違います。

在宅での生活を支援する立場として仕事をしていますが、在宅生活が困難になってきたという方にじゃあどうしようかと次を考えるなら、基本的に小規模多機能が選択肢に上がることはあまりありません。

まず経済的な余裕がある方なら、グループホームや有料老人ホームなども選択肢に入れて検討しますが、難しければ特養がもっとも有力な選択肢になります。

特養は経済的な余裕のない方も受け入れる役割を果たしているのですから。

また、前にも述べましたが、確かに在宅生活に比べて自由がないとか制限がされているとか、そういう面はあるかもしれません。

しかし、特養への入所には要介護3以上という入所要件があります。

現実的に要介護3以上の方が、在宅での生活を選んだとしても、何らかの要因で要介護3以上になっている時点で、在宅生活にはかなりの制限や、不安要素、困難があるとみなすべきだと思います。

制限がないのがそんなに良ければ、どこの国にも属さない無人島にでも行って、法や慣習の縛りのない生活でもしてみればいい。

そこには束縛を受けない自由(消極的自由・ネガティブ・フリーダム)はあるかもしれませんが、そんな自由は幸せですか。

特養が在宅生活が困難な方の受け皿になり、利用者に安心・安全・安楽な生活が送れるように支援をする。それによって利用者は安心・安全・安楽な生活をする自由(積極的自由)を獲得できているのです。

その前提を崩さない上で、施設が利用者に様々な選択肢を与える努力をしろと言うのなら、否定はしません。

しかし、元からいろいろなことができる能力を持つ利用者を受け入れている小規模多機能の管理者が、前提を無視して特養を貶めるなどは理不尽というものです。

特養という存在そのもの、そこで働く人、利用する人や家族をも侮辱し、不安にさせる発言です。

ましてや刑務所と同列に扱うなど、介護に携わる者として、不見識極まりないと言わざるを得ないでしょう。

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