インフルエンサーを目指していた若者が引っ越しして無職になりました①

「いや〜、芸人が作った映画ってことでちょっと斜に構えているっていうか、舐めてるところありましたね〜」

画面に映った男が話す。この男が何かを褒めることなんて滅多にない。珍しく映画評なんて述べているのは、よほどこの映画に注目してるんだろう。

「面白いですよ、『となりのペペロ』。コレで5回泣きました」

そこで動画チャンネルの再生が終了した。人脈を駆使したマーケティングに力が入っている。これならいけそうだ。

東野雄太総合プロデュース作品 『となりのペペロ』

俺はこれで人生を変える−


都内で派遣事業の会社で働いていた俺は、退屈だった。仕事を覚えてきたのはいいが、内容には今ひとつ興味がわかない。介護関係の人材派遣だが、介護なんてやったこともないし、そもそも介護で働きたい人の気持ちだってわからない。

もっとも景気が悪くて今までの仕事が続けられなくなって、必死の想いで仕事先を探している人が、これまでになく増えたような気がする。グループの転職エージェントも今はフル稼働しているらしい。

なんて事をいろいろ考えながらも、やっぱり俺は介護に興味が持てない。目の前の仕事はこなすが、それ以上の意欲はわいてこない。

派遣を希望する人の中には、やたら条件に厳しいのもいる。やれ時給はいくらかとか、残業はないのか、選り好みばかりされるとこちらとしてはいい気分がしない。ましてやそういう人に限って経験が浅かったり介護福祉士を持っていなかったりだから閉口だ。

条件のいい職場で働きたかったら、努力しろよ。もっとも資格も取らずにずっと派遣の働き方を続けるなら、それは会社の利益になるのかもしれないが。


家に帰るなり俺はパソコンを起動する。今日もブログの更新だ。

俺は、口だけで行動しないやつとは違う。今の仕事が嫌いなわけではないが、不安定なこの世の中だ。自分の力で稼ぐ手段を少しでも身につけておきたい。

レンタルサーバーの借り方から自作サイトの作り方まで網羅した指南書は、何度も読み返した。他にもSNSマーケティングの本を何冊か。

ブログの更新は順調だ。最初は伸び悩んだが、最近はどんどんアクセスが増えてきた。たまに記事の中に本や商品の広告を貼り付けてみたが、これは評判がいまいちだった。だがブログに常設している、介護派遣のアフィリエイト広告には、毎日一定数のクリックがある。

「どうも!介護職歴3ヶ月のタツマです!今日は派遣で働いて3ヶ月の僕が徹底的にリサーチした、オススメの派遣会社4選をご紹介します!」

書き出しはこんなものでいいか。派遣の知識ならそこらのアフィリエイターには負けない。なぜなら俺は介護職ではなく、派遣会社で働いているんだから。Twitterの方では俺が本当に働いているのかどうか、しつこく聞いてくるやつがいるが、知らんな。まあ適当に騒いでくれれば、むしろブログのアクセスも増えるだろう。疑ったところで俺が介護職として働いてないかなんて、証拠は何も出せないだろう。適当に相手をして、ブログのアクセスが増えれば俺はそれでいいのだ。

「そろそろ時間かな」

言ったところで、スマホの通知が鳴る。彼女の紗希だ。

「お疲れ、タツくん、今日も順調?」

「まあね紗希はどう?あの話やっぱり…」

「…うん。やっぱり帰らないとダメみたい」

先週、紗希の母は脳梗塞で救急搬送された。一命は取り留めたものの、体に麻痺が残る可能性が極めて高いようだ。状態が落ち着いたらリハビリ病院に転院になるだろう。問題は父の仕事だ。紗希の実家は家族経営で飲食店を営んでいた。母が抜けた穴を誰かが埋めなくてはいけない。父も店を回しながら母の見舞いや対応に行かなくてはいけない。従業員に任せようにも、コロナの影響が売上に少なからず及んでおり、今以上に店員を増やすのも難しかった。

何よりも紗希の気持ちだ。紗希は実家との折り合いが悪かった時期があり、就職の関係で実家の北海道から飛び出すように東京にやってきた。住む場所もほぼ相談なく決めてしまっていたらしい。いっときは家族と疎遠になってしまいながらも、伯母さんの取り持ちで徐々に修復することができたとのことだった。だが、その時のことが紗希の心に影を落としている。ワガママで迷惑をかけてしまったと悔やんでいた。

居酒屋チェーンの会社で社員として働く紗希は、飲食業の心得がある。紗希は北海道に帰り、家業を手伝うつもりだ。

「ごめんね、こんなことになって」

「いや、いいんだ。それに俺にも考えがあって」

「え?」

遠距離恋愛となっても構わないと、俺は思っていた。だが俺はブログやYouTubeを始めてから、そこそこアフィリエイト報酬が入るようになっていた。これだけで食っていくには足りないが、貯金もあるししばらくはなんとかなる。北海道に行って貯金で食いつなぎながら、ブログにもっと力を入れればいい。そもそも俺はアフィリエイターとしてももっと上を目指したい。小金を稼いでいるだけのアフィリエイターは掃いて捨てるほどいる。俺の目標はトップクラスのインフルエンサーになることだ。

紗希には副業の事を詳しく伝えていない。WEBライティングの仕事を請け負っていると言ってある。実際に副収入を稼いでいるわけだし、紗希も特に深く聞いてくる事はなかった。


北海道行きの話は、すぐにまとまった。仕事を辞めて大丈夫なのか、北海道にまで付き合わせて本当に大丈夫なのか、何度も確認されたが、最終的には受け入れてくれた。

今の仕事の引き継ぎには時間がかかる。上司には家庭の事情、とだけ伝え、1ヶ月後の退職としてもらった。紗希は俺より2週間早く北海道に発つ。土地勘のある紗希に教えてもらいながら、俺は賃貸住宅の業者と連絡を取った。紗希はこのまま実家暮らしになる。

俺はマンション暮らしで、副業…いや本業が上手くいけば紗希にプロポーズをするつもりだ。付き合い始めて2年になる。紗希も待っていてくれるのではないか。そう思っていた。忙しくて会えない時間が増えていたが、新しい環境で、俺が稼いで、きっと上手くやっていける。俺には自信がある。それに…

『オンラインサロン 東野雄太メディア研究所』この名前を見つけたのは俺がブログ更新のネタを探していた時だ。

サロンを主宰する東野雄太は元々テレビで引っ張りだこのお笑い芸人だった。最近彼の話題を聞かなかったが、どうやら芸術活動に勤しんでいたらしい。知らないうちに絵本が出版されているらしい。『となりのペペロ』というその絵本は着々と映画制作が進んでいるそうだ。このサロンは月額制。入会すれば東野の限定配信記事を読むことができるし、有名IT企業社長との対談の動画も見ることができる。

しかも『となりのペペロ』の公開を記念して美術館を北海道に作ることになっていて、北海道ではサロンメンバーが実際に集まって盛んに交流しているとのことだった。

サロンに入会した俺は毎日東野の記事を読んで彼のエッセンスを吸収しようとした。彼が凄いのはその行動力だ。毎日行動し、考える。価値を生み出せる人と交流する。そうしているから、映画制作のためにクラウドファンディングで莫大な金額を集めることができたのだという。映画のクオリティも1流のアーティストの協力を得た最高のものだ。これで面白くないはずがない。毎日配信されてくる東野の記事には、有名アーティストや起業家との交流、彼の卓抜したアイデアが詰まっていた。そして東野は何より心が大事なのだと言う。

「できない言い訳を探すんじゃない。挑戦していると叩いてくる奴がいるが、妬んでいるだけだ。負け犬だ。耳を貸すな。行動しろ。とにかく行動するんだ」

確かに東野はネットで叩かれていることもある。でも彼は実際に凄いじゃないか。元はお笑い芸人だったのに、創作活動で何億も稼いでいる。


北海道への引っ越しが完了した俺は、今まで以上にブログ更新やSNSに力を入れた。俺はブログの設定では介護派遣で自分にあった働き方を追い求め、派遣期間終了で新しい施設で働き始めたことにしておいた。まあ実際に仕事を辞めたり引っ越ししたし、別に適当に書いておけばいいだろう。ブログを見にくる人は事実ではなく俺の話を聞きに来てくれてるんだ。皆に楽しんでもらい俺はアフィリエイトで稼ぐ。批判している奴もいるが何が悪いんだ。

毎日紗希と電話で話していたが、ようやく会えるようになった。実家の仕事もしながら、家事もこなしている。今まで母親が家事の殆どを担って来たから、女手のない家は大変だったらしい。退院はまだ先になる。

ゆっくり会う時間がなかなか取れなくて…と紗希は申し訳なさそうにしていた。でもそれは仕方がない。(続く)

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