弟子への反論

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現在の新型コロナウイルス感染症への対応について、京都大学大学院教授の藤井聡氏が批判していました。しかし、その批判の内容は正当とは言えない。この点について、評論家の中野剛志氏、哲学者の適菜収氏が藤井聡氏の言説について詳細を分析していました。興味のある人は検索してみてください。

大まかに言えば、藤井聡氏の主張の内容は「コロナで亡くなる人は多くない。その為に自粛なんかしていたら、経済活動の停滞で生活できなくなる人がいるじゃないか」と言うものです。確かに全てが間違っているとも思いませんが、自粛に意味がないとか踏み込んだ内容まで述べています。そこまでは流石に言い過ぎだし、自粛は無意味として藤井聡氏は独自のデータ解析を出していますが、その根拠が薄弱であると詳しい人は批判しています。藤井聡氏は言い過ぎだと思います。この点も詳しくは述べませんが。

今回私が指摘したいのは、藤井聡氏の弟子らが、藤井聡氏への批判に対して憤慨し、的外れな反論を述べている事です。ほって置いても構わないのですが、コロナに対する私の見解を整理する良い機会ともなるので、ここでは弟子の反論に対するさらなる反論を試みたい。以下という挙げていきます。

弟子の反論①「コロナ以外の犠牲者の数を、コロナ以外の死因による犠牲者の数と比べてはいけないのか?」

弟子は「コロナ以外で亡くなる数と、コロナの犠牲者を比較すると、コロナによる犠牲者は事更多いとは言えない」と言いたいようだが、その反論は失当である。

犠牲者の数を比べても良いが、犠牲者の数は参考にする要素の1つでしかない。

新型コロナウイルス感染症は、感染力の強さ、重症化の多さなどからICUのような医療資源を大量に消費してしまう。

感染拡大への対策を講じなければ、医療資源の枯渇など社会に重大な悪影響を及びす可能性が高く、対策は必須である。犠牲者の数だけで比較して論じるものではないのだ。

また後遺症による影響も評価しなければならない。

弟子の反論②「なぜコロナの犠牲者の家族の心情ばかりに配慮しなければならないのか?」

この反論は反論にもなっていない。藁人形論法である。

社会としてはコロナによる犠牲者にばかり気を取られているかもしれないが、コロナによって亡くなった人の気持ちだけを考えろとは誰も述べていない。

ただ、病棟においてコロナの院内感染を防がなければいけない為に、面会制限などが行われ、亡くなる時に立ち会えないなど、今までなかった問題が発生している。この点を考えれば、むしろよりコロナにより発生する感情的な問題を深く考えるべきであろう。いずれにせよこの弟子の反論には答える価値さえない。

弟子の反論③「数値で明らかに数から、コロナによる災害の大きさを評価してはいけないのか?」

この反論への答えは、①ですでに述べている。

死者数でしか評価しないのは、失当である。

弟子の反論④「コロナ以外でも例えば交通事故で多数の人が亡くなっているが、コロナ対策で多数の対策を講じる合理性や整合性があるのか?」

交通事故による犠牲者を減らすための策として、安全運転講習、啓発、取り締まり等が講じられ、犠牲者の数には社会的な関心がある。他の疾病に対しても、検診、啓発、予防接種などが講じられており、整合性が取れている。

コロナに対してはウイルスの変異や医療資源の逼迫など、今後その影響の大きさを定量的に評価する事は難しい。それ故に多くの人が先行きを案じており、合理性云々を持ち出す自体が不適当である。

また弟子は「交通事故の犠牲者は、若者が多い」とも述べていたが、交通事故の犠牲者について少し検索した限りでは、交通事故の犠牲となるのは高齢者が多いとの事であった。事実に基づいた反論をされたい。

弟子の反論⑤「今までインフルエンザの犠牲者には何も言ってこなかったのに、なぜコロナだけ騒ぐのか?」

確かにインフルエンザでも毎年少なからず犠牲者がいたとは言え、医療資源の逼迫などここまで問題が大きくなった事はなかった。

コロナによる新たな問題の発生は、医療資源の逼迫、後遺症の存在などで述べており、重複して述べる事はしない。

また、今までインフルエンザによる犠牲者を抑制するための策や社会的関心が不十分であったとしても、それは現在のコロナ対策を過剰だと批判する根拠とはなり得ない。

「確かに、今までインフルエンザの犠牲者に対して十分に対策していたとは言えないのかもしれない。今までの認識を今回の件で改めるべきではないかもしれない」となるのではないだろうか。

弟子の反論⑥「コロナで大騒ぎしたら社会生活の質が下がるじゃないか」

現在、コロナによって飲食店の営業自粛など、少なからぬ悪影響が発生している。しかし、今までアクセスしていた医療資源が、コロナによる対応によって枯渇し、アクセスできなくなれば、それもまた社会生活の質の低下となるとも言えよう。

そういった事態を避けるための自粛でもあり、悪影響ばかりに着目するのは不当だ。本来なら経済活動の低迷には、補償などの支援で下支えするという方法もあろうが、医療資源の逼迫、枯渇などには、すぐには対応できない。

最後に

以上、藤井聡氏の弟子の反論に再反論しましたが、どれも大したことは言ってなかった。相変わらず死者数のみで論じているのが浅はかだなと思います。


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