見送り

「そう、家族さんの体調が回復するまではショートをお願いしてる。元からレスパイトの受け入れ実績があるから…」

倉柳はカルテをめくりながら電話相手に説明を端的に。いつもながら話は要点をまとめて無駄がない。

「ハートフル ショートステイの増山様、お世話になっております。折り返しですね?生憎、倉柳は別の電話に対応中です」

もうひとつの電話を受けた井上は、復唱しながら目線を倉柳へ。井上の声を聞いた倉柳はすかさず目線をカルテから井上へと移す。

「部屋の調整はOK、受け入れ可能、ということですね?倉柳には私から伝えます。後で折り返すよう言っておきます」

さらに続く井上の復唱。内容を伝えるにはこれで十分であり、内容を聞いた倉柳は電話相手に話しながらOKのハンドサインを井上に送る。井上もまたメモを取りながら倉柳のサインを受け取り、さらに電話の内容も聞き取っている。「増山様、折り返しは携帯電話がよろしいですか?番号をお聞きしても?」と井上がさらに続け状況判断も抜かりなし。

「ショートの予約は希望した分は取れた。問題は家族が復帰できない時ね。ロングショートに移行出来ればこちらとしても安心」電話相手と同時に井上にも、と倉柳は話続ける。

「倉柳はこのままロングショートをお願いするかも、と言っていますが。はい、大丈夫ということですね」

「ロングショートでも受け入れられるみたいだから、ショート開始までケアに入って。今、褥瘡の処置はどんな感じ?家族さんの許可はもらってる。詳細は後で連絡する。よろしく」

要件を伝え受話器を置いた倉柳に、電話番号を控えたメモを井上がさっと手渡す。「増山さん、しばらく事務所にいるそうです」

「わかった。すぐに折り返す」

息をつく暇もなしと再び受話器を手にる倉柳を、スミレは唖然と見ていた。今までショートステイの相談員として忙しくもそつなく仕事をこなしていたスミレもそれなりの経験を積んでいる。しかし緊急のショートステイの調整に一切の焦りや迷いなく、ケアマネ同士の連携でここまで見事にやってのけるとは。圧巻と思う他なかった。

「焦らなくても大丈夫だよ」水貴はスマホの端末を操作しながら涼しい顔で言う。「スミレちゃんならすぐに慣れるって」

はい、とスミレにスマホを手渡す。会社から支給されたスマホだが、そのまま渡しても仕方がない。仕事をする上で必須の連絡先の登録とアプリのダウンロードを水貴はやってくれていたのだ。

「あなた達もいいコンビになれそうね。松原さんも早速スマホの設定やっちゃうなんてさ。そこまで急ぐことないじゃない」

井上はそう言うが、今後の動きに備えて水貴としては早くやっておきたかったのだ。

「今日、新規の利用者の契約に一緒に行くんですが、どうも一筋縄じゃあいかない予感ですし」

「梅屋さんて人ねぇ…。少ししか内容を聞いてないけど、確かに」

スミレは今月からケアマネとして働き始めることになったばかりで、担当する利用者とも2人としか会っていない。その状態で引き受けるケースが難しそうだと先輩達2人に言われてしまうと、気が重くて仕方がないのだが。

「ごめんごめん、そんなに緊張しなくてもいいよ。今日だけじゃなくて、訪問する時はできる限り私も一緒に動くから」

「そういっていいとこ見せようとか欲出したらダメよぉ」と井上がからかう。緊張を察した水貴がフォローして井上が軽口を叩くだけで、スミレの緊張が和らいでいく。

「ちょっと早いけど今から出かけよう。自転車で走る時は車と勝手が違うし。道を教えときたい。名刺持った?」

「はい」と水貴に応じて立ち上がるスミレ。

二人して今から面談するケースは梅屋泰造。要介護1。85歳。妻と2人暮し。もともと寡黙で厳しい性格だったというが、認知症を患い、怒りっぽくなり、妻が少し外出するだけで「どこに行くんだ」と何回も問い詰めるという。薬の管理もできず、お金の計算もできない病院で認知症と診断され薬も処方されたが「こんなものは要らん」と服用を拒否することがあるそうだ。妻の介護疲れが溜まり、病院からの認定が出たことで息子が支援の依頼を水貴達に打診した。ただこの息子、電話口で「いつ来れるんですか?」「何をやってくれるんですか?」と一方的にまくし立てる場面があったらしい。応対した職員曰く「なんというか、態度が横柄で」とのこと。その息子の存在が水貴達に先行きの不安を感じさせる。「多少難しいケースであっても、新規のプラン担当の機会は新人に担当させ経験を積ませたい」という倉柳の意向でスミレが担当。水貴が主体となってバックアップすることになった。

「行くの?誰だって初めは緊張する。しっかり経験を積んで来なさいな」電話を終えた倉柳がスミレに声をかけた。

「暑いから気をつけてね」倉柳と井上に見送られてる二人は事務所を後にした。

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