議院内閣制における二院制の意義と、多数者の専制について

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Twitterに投稿した内容を、一部改変してまとめました。

三権において、国民が直接その影響力を行使するのは立法府に対してのみである。国民は選挙権を行使して議員を選出し、国会はまた内閣総理大臣を指名し、行政に対しての影響力を行使する。
しかし、立法府に対してもまた、世論による影響力を制限する仕組みが採用されている。二院制である。

二院制は、専制権力の台頭を抑止する仕組みとして考案された。他国でも議論された議会内閣制の内容は以下のようなものである。

「選挙により議員が選出されるが、政治家は選挙に通るために利益誘導に走るようになってしまった。だが、上院は任期が長く特権が与えられているため選挙を過剰に意識しない。

そのため、上院においては目先の選挙に通るための利益誘導の政治ではなく、世論に阿る必要は比較的に乏しく、公論に基づいた議論が交わされている」と。

日本においては衆議院と参議院という二院制で参議院に上院としての役割が期待される。そして郵政選挙において、その形骸化を観察することができた。

郵政民営化は衆議院を僅差で通過し、参議院において一度は否決された。解散をちらつかされた衆議院議員は怯えたが、参議院には解散はなく、長い任期が与えられている。だから参議院は選挙の心配をすることはなく、自らの判断に基づいて郵政法案に反対を投じた。

これは参議院が二院制本来の趣旨に則り、民主権力から自由を守った例である。二院制が適切に機能した瞬間だった。

しかし、ほどなく行われた衆議院の解散と自民党の大勝によって、参議院議員たちは態度を翻した。
世論が郵政法案に賛成しているからといって、参議院議員たちが態度を翻したらどうなる?

参議院議員は衆議院に比べ解散による失職から守られているからこそ、世論が求めようと、自らの意志と公論に基づいて議論を交わすことができる。
大衆が求めるからと考えを曲げるのであれば、大衆を扇動し専制権力を得ようとするものが現れた時、どうする?

三権分立も二院制も、権力の暴走を防ぐものとも解されており、間違いではない。
だが国民主権国家において、専制権力を得ようとするものに対して力を与えるのは、大衆であり世論であり、民主主義に抑制的な仕組みを採用することが権力の暴走を防ぐと解することもまた、矛盾はない。

民主主義は一般的に守らねばならない価値観とされており、私からの異論はない。
だが、民主主義による失敗を防ぎ、民主主義を機能させるために必要な制度として、逆説的に民主主義を抑制する制度を採用していることも、忘れるべきではない。
歴史から学ばねばならない。

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